広形銅戈鋳型
ひろがたどうかいがた
概要
広形銅戈の鋳造に用いられた石製鋳型で、ほぼ完形で遺存する資料である。
広形銅戈は弥生時代後期に生産された青銅製武器形祭器である。弥生時代前期に朝鮮半島より伝わった青銅製武器が、列島の中で大型化して祭器化した、その最終段階に位置づけられるもので、すでに武器としての機能は完全に喪失している。
広形銅戈は一般に石製の鋳型で鋳造されるが、鋳型の出土例(破片含め10例)は福岡平野を中心とする北部九州に限定される。製品の出土例はごく少ないが、その分布は北部九州を中心として中九州や四国などにも広がる。
広形銅戈鋳型の(略)完形遺存例は、これまでに4遺跡5例が知られる。本例は新出資料で、(略)完形遺存例としては6例目となる。
本例は、福岡市多田羅大牟田出土の伝承をもつ。九州国立博物館では、同じ地域から出土したことが明らかな広形銅戈1例(YJ4)を所蔵しており、両者を比較すると、全体の大きさ、加工(特に上面平坦面と彫り込み内の仕上げ加工)技術など、多くの共通点を指摘できる。特に重要なのは合印で、その刻み方に共通性がみられる。このことから、両者は同一の工人集団により製作された可能性が極めて高いと考えられ、本例の出土地伝承は信ぴょう性が高いと判断される。
福岡市多田羅大牟田は、現在の福岡市東区八田周辺にあたる。この地域では、これまでほかに5例の武器形青銅器鋳型が出土している(福岡市博物館・明治大学博物館所蔵)。いずれも彫り込まれた製品の形式から弥生時代中期から後期のものと考えられ、同地が弥生時代中期から後期にかけて断続的に青銅器の生産を行った地域であることが指摘されている。本例は、このことをさらに補強する資料としても重要な意味を持つ作品といえる。