桜ヶ丘銅戈
さくらがおかどうかぐん
概要
桜ヶ丘銅戈
さくらがおかどうかぐん
弥生時代中期/紀元前200年頃〜紀元後100年頃
青銅
7口
来歴:
参考文献:
・神戸市立博物館『まじわる文化 つなぐ歴史 むすぶ美―神戸市立博物館名品撰―』図録 2019
・石野博信・壇上重光・喜谷美宣・井上洋一・北井利幸・橋詰清孝・関野豊(編)「国宝桜ヶ丘銅鐸・銅戈発見50周年記念事業の概要」(『神戸市立博物館研究紀要』第33号) 2017
・石野博信・壇上重光・喜谷美宣・井上洋一・北井利幸・橋詰清孝・関野豊(編)「国宝桜ヶ丘銅鐸・銅戈発見50周年記念事業の概要」(『神戸市立博物館研究紀要』第32号) 2016
・橋詰清孝「国宝 桜ヶ丘銅鐸・銅戈の保存・保護を目的とした総合診断調査について-最先端の精密計測技術を活用した九州国立博物館との共同研究の取り組み」(『神戸市立博物館研究紀要』第30号) 2014
・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
国宝
武器形青銅器と呼ばれ、桜ヶ丘では7本が発見されました。北部九州地域を中心に発見される中細形【ちゅうほそがた】銅戈と似た形態ですが、樋【ひ】(身にある2本の溝)に複合鋸歯【きょし】文(鋸の歯のように並べた三角形の文様)が描かれているのが大きな違いです。
刃は研ぎ出されていないので、祭器として使用されたと考えられます。同一型式の銅戈は、大阪湾岸地域を中心に出土することから「大阪湾型銅戈」と呼ばれ、土製鋳型が東奈良遺跡(大阪府)で発見されています。
【古代の神戸】