米治一年賀状(早苗藤作宛)
こめじいちねんがじょう
概要
①昭和27年(1952)
縦14.0cm×横9.0cm
②昭和28年(1953)
縦14.0cm×横9.1cm
③昭和29年(1954)
縦13.9cm×横9.0cm
④昭和31年(1956)
縦14.0cm×横9.0cm
⑤昭和35年(1960)
縦13.9cm×横9.0cm
米治一(こめじいち)
〔生没年:明治29年(1896)1月17日~昭和60年(1985)2月4日〕
高岡市横田町生まれの彫刻家・原型師。号は静雲。師は高村光雲〔嘉永5年(1852)~昭和9年(1934)。仏師・彫刻家〕富山県立工芸学校を経て、大正8年(1919)東京美術学校を卒業。同年研究科へ進学し同10年(1921)に卒業後、高岡に帰り昭和59年(1984)まで一貫して高岡銅器や銅像の製作に携わる。作品数は数千点に及び、約200基の銅像が全国各地に建てられているほか、昭和天皇や秩父宮(ちちぶのみや)の買い上げ作品や新宮殿屋上飾り「瑞鳥」など皇室関連の作品も残る。
一方陶芸・絵画にも秀で、陶芸では明治44年(1911)の第5回文展に入選、絵画を濱屋(はまや)白雨(はくう)に学び、画号を「静雲」と称して作品を残した。その後、富山技能開発センター(現・富山職業能力開発促進センター)の後継者育成研修講師として指導にあたり、昭和48年(1973)に北日本新聞文化賞を受賞した。享年89。
<参考文献>『富山大百科事典』(北日本新聞社、1994年)