多与梨集(書簡集)
たよりしゅう(しょかんしゅう)
概要
多与梨集(書簡集)
たよりしゅう(しょかんしゅう)
33×45(cm)
千代田区隼町4-1 国立劇場
登録番号6095
曾我廼家五郎旧蔵資料
解説:日比野啓(成蹊大学文学部教授)
独立行政法人日本芸術文化振興会
ボール紙に布張りの表紙には、半分消えかかった筆跡で「多与梨集」「曾我の家」とある。五郎が受け取った手紙や葉書をスクラップブックに貼っていったもの。差出人の名前・住所が書かれた裏書きまで貼られているものが多いのは、住所録を兼ねていたからだろう。メモ等が書き入れられていることはないので、正確な年月日まではわからない。全部で16通なので、ある時期に受け取ったものを貼っていったように思われる。有名無名を問わず選ばれているが、ファンレター等はなく、私信か官公庁からの感謝状が大半を占める。本名・和田久一名義で市村羽左衛門から五郎に宛てた手紙は、昭和18年(1943)9月の鳥取地震の際、巡業でその地を訪れていて被害に遭った羽左衛門の息子・十六世市村家橘(のちの二世市村吉五郎)の見舞いに五郎が訪れたことに礼を述べている。昭和15年(1940)10月の大日本俳優協会結成式以来、羽左衛門と五郎のあいだに交友関係が続いていたことを示すものだ。ほかに朝日新聞記者で随筆家としても名が高かった杉村楚人冠が、高齢による健康悪化のせいで招待された公演に行けない詫びを書いたもの等もある。五郎は大正3年(1914)7月の外遊のとき楚人冠の知己を得ていた。