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絵葉書(高岡関係)

えはがき(たかおかかんけい)

概要

絵葉書(高岡関係)

えはがき(たかおかかんけい)

その他 / 富山県

富山県高岡市

紙・印刷

15葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-218

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

1 絵葉書「観光の高岡」(7葉)

作者:撮影 村上陽岳,印刷 日本写真印刷株式会社(京都)
年代:昭和33~35年(1958~60)
寸法:各 縦14.5cm×横10.5cm

高岡市の観光絵葉書7枚組セットである。一部補彩されている。
付属の封筒表に「高岡の観光/SIGHTSEEING OF TAKAOKA」、「国際標準型 天然色」とあり、裏面には「第五種郵便」、「切手貼用/但シ通信文ヲ記入シテハイケマセン」、「届先住所氏名欄」、「差出人住所氏名」などがあり、セットで郵送することもできた。右下には「(表紙原色写真は古城公園)」とある。
年代は判然としないが、①「高岡の大仏」には昭和33年(1958)に載せられた円光背がみられるので、それ以降であることがわかる。また④は「高岡御車山(富山県指定文化財)」とあり、その期間は同28年(1953)12月25日から、国より重要有形民俗文化財の指定を受けた同35年(1960)6月9日以前であることがわかる。
いずれも未使用。
通信面(表面)は縦横の違いはなく、すべて同じ様式である。右読みで「郵便はがき」と切手貼付枠内に「NISSHA」(日本写真印刷株式会社)とロゴがある。そして「POST CARD」と宛先等と通信文のそれぞれの記載部分の中央には「~~高岡の観光/SIGHTSEEING TAKAOKA~~」とあり二分されている。

①「(観光の高岡)高岡の大仏」
「美男におわす高岡の大仏は日本三大仏の一つである」、「身長 7.42米  顔 2.27米/鼻穴廻り 0.30米  手 2.12米」、「(SIGHTSEEING TAKAOKA) Daibutsu,great image of Buddha」

②「(観光の高岡)高岡古城公園」
「(SIGHTSEEING TAKAOKA) The Takaoka Kojyo Park」

③「(観光の高岡)高岡御車山」
「御車山は天正16年豊臣秀吉が、御陽成天皇を聚楽第に迎へる時使ったもので、その後/前田利家が拝領し、その子利長が高岡城を築く時、城下7ヶ町に分けたものである。」、「(SIGHTSEEING TAKAOKA) The Floats of Takaoka Mikurumayama」

④「高岡御車山(富山県指定文化財)」
「(観光の高岡) 三百五十年の伝統と桃山芸術の粋をこらした美しい高岡御車山」、「(SIGHTSEEING TAKAOKA) The Floats of Takaoka Mikurumayama」
曳山は守山町御車山の1基。

⑤「(観光の高岡)高岡駅前通り/商店街の夜景」
商店街はオタヤ通り。

⑥「(観光の高岡)瑞龍寺(国宝建造物)/春の二上城址(二上山)」
「国宝」とあるが、これは古社寺保存法(明治30年施行)及び国宝保存法(昭和4年施行)の下で指定された有形文化財でいわゆる「旧国宝」である(これは重文・国宝の区別なく全て「国宝」と称されたので、現「国宝」と区別するため、「旧国宝」といわれる)。昭和25年(1950)、文化財保護法が施行されると、「旧国宝」であったものは、全て重要文化財に指定され、その内重要なものを国宝とされた。瑞龍寺は昭和3年(1928)4月4日に「旧国宝」となり、同25年に重要文化財になった。本資料を昭和30年代のものとすると、当時も変わらずに「国宝」と称していたようである。

⑦「(高岡の観光) 雨晴海岸より立山連峰を望む」
「海辺の岩窟は昔、源義経が奥州落の途中、こゝで俄雨を晴らしたと云ふ」、「(SIGHTSEEING TAKAOKA) Tateyama range Amebarashi Seashore」


【村上 陽岳】むらかみ ようがく
現時点での詳細は不明だが、出版歴をみると富山県ゆかりのカメラマンのようである。富山県立図書館には数冊の写真集が収蔵されている。


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2 絵葉書「越中伏木港(其二)」(1葉)
年代:明治40~大正6年(1907~17)
寸法:縦9.0cm×横14.1cm

伏木港の絵葉書である。庄川左岸の河口港である伏木港の様子がうかがえる。汽船が係留されており多くの人影がみえる。おそらく米や石炭を運んだ、女仲仕(女性の荷役)であろう。
記載事項は裏面(写真面)には、「越中伏木港(其二)」「▲harbour Fushiki of Etsuchu」とあり、シリーズものであることがわかる。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。切手貼付欄にはハトの絵と「商標」とあるが、何の商標かは不明である。
未使用。


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3 二番町御車山絵葉書(2葉)

年代:明治40~大正6年(1907~17)
寸法:各 縦14.2cm×横9.1cm

高岡の二番町御車山の絵葉書である。2葉あるが、別シリーズである。

①向かって左斜め(2時方向)から撮られている。御車山の上には子供らが乗り、右奥には曳手、左側には見物人がみられる。視線はカメラに集まっている。
記載事項は裏面(写真面)には、「高岡御車山 二番町」「(K.T.) ORNAMENTAL CAR AT NIBANCHO.」とある(「ORNAMENTAL」は「装飾」の意)。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書) とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。線の左側にはペガサスのマークがある。切手貼付欄もみられる。
未使用。周囲に花文のエンボス加工が施されている。

②向かって右斜め(11時方向)から撮られている。中央に神職、左右に大勢の関係者がおり、視線はカメラに集まっている。御車山の前には簡単な祭壇が設けられ、入魂式か何かの神事の際に撮影されたと思われる。
記載事項は裏面(写真面)には、「高岡祭禮曳山二番町」とある。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。切手貼付欄には雪の積もる松の景の絵がみられる。
未使用。


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4 高岡古城公園絵葉書(2葉)

高岡古城公園の絵葉書である。2葉あるが、別シリーズである。

①年代:大正元年(1912)9月25日
 寸法:縦9.1cm×横14.0cm

右側、そして左側からせり出す土塁を避けるように右への緩やかなカープを描く坂道がある。登った先には和風の平屋建築物がある。正面には桜であろうか大木と電柱、左手土塁上には塀がみられる。
記載事項は裏面(写真面)には、「(高岡名勝)高岡古城公園入口」とあるが、どこからの入口かは不明である。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)、「Union Postale Universelle.」(仏語:万国郵便連合)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。
使用済(エンタイア)である。1銭5厘の切手にかかる消印は「□□(高岡か)/1.9.25/后1-5」、中央の消印は「□□/1.9.27/后8-12」とある。


②年代:大正7~昭和7年(1918~32)
 寸法:縦9.1cm×横14.2cm

本丸から朝陽橋、そして二上山を望むというよくあるアングルから撮られている。しかし、管見の限りは初見であり、本丸北隅や橋台の石垣の様子などもよく分かる。
記載事項は裏面(写真面)には、「高岡古城公園」、「Ecchu of Meisho,」とある。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)とある。通信文記載が三分の一から二分の一(1/2線)に拡大された時期の型式をもつ。
未使用。


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5 高岡名勝絵葉書「小矢部川ノ下流」(角谷発行)(1葉)

作者:角谷(詳細不明)
年代:大正2年(1913)
寸法:縦9.1cm×横14.1cm

小矢部川下流の様子が撮影された絵葉書である。中央には江戸初期より水運の主役を担った「長舟」と思われる舟を船頭が棹差している。対岸には長舟と思われる舟が数隻係留され、左側には林と家屋、右側には高い櫓もみられる。
未使用ではあるが、中央上部に「★大正弐★富山県主催一府八県連合共進会/紀念/自九月一日/至十月廿日」の記念スタンプが捺されている。
記載事項は裏面(写真面)には、「(高岡名勝 小矢部川ノ下流」「(角谷発行)」とある。「角谷」は現在のところ不明。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」と切手貼付枠、左側に「CARTE POSTALE」(仏語:葉書)、「Union Postale Universelle.」(仏語:万国郵便連合)とある。下部の三分の一辺りに点線(1/3線)があり、その下にのみ通信文が書ける時代(明治40~大正6年)の型式をもつ。


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6 絵葉書「富山県高岡市定塚町校下青年団相互修養会」(1葉)

年代:大正7~昭和7年(1918~32)
寸法:縦9.1cm×横14.0cm

定塚町校下青年団相互修養会の様子が撮影された絵葉書である。二十数人の青年が円形に正座して本を読んでいる。
記載事項は裏面(写真面)には、「富山県高岡市定塚町校下青年相互団修養会」とある。表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」と切手貼付枠、左側に「CARTE
POSTALE」(仏語:葉書)、「Union Postale Universelle.」(仏語:万国郵便連合)とある。二分の一辺りに点線(1/2線)があり、下半分に通信文が書ける時代(大正7~昭和7年)の型式をもつ。
未使用。


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7 年賀状「高岡市桜馬場・高岡館 濱野他吉」(1葉)

作者:高岡館 濱野他吉(高岡市桜馬場)/逓信省発行,印刷局製造
年代:明治45年(1912)1月1日
寸法:縦8.9cm×横14.1cm

高岡市桜馬場にあった旅館、高岡館・濱野他吉の年賀状である。
中央に高岡館の写真が刷られ、記載事項は裏面(写真面)には、「誰賀新年」、「一月/元旦」、「高岡市桜馬場/高岡舘 濱野他吉/電話二三八番」とある。
表面(通信面)上部には右読みで「郵便はかき」と1銭5厘の切手が印刷され、下端に「逓信省発行 印刷局製造」とあり、官製葉書であることがわかる。
使用済(エンタイア)で、消印は「高岡/45.1.3/□7-9」とある。住所氏名のみの記載で、通信文が書けない時代(明治33~39年)の型式をもつ。

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絵葉書 / 高岡 / 読みで / POSTALE

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