西洋更紗裂
せいようさらさぎれ
概要
本コレクションは、1940年代に蒐集された西洋更紗である。フランス産の更紗は、ジュイ、ノルマンディー、ナント、ミュールーズなど、フランスにおける更紗産地として有名な地の銅版更紗を網羅し、18世紀の木版更紗、蝋防染による更紗などを含む。近世から前近代に至る木綿布、更紗の生産と世界的な流通、消費に関する諸相を物語る資料である。
ヨーロッパにおける更紗の製造はインド更紗に触発されて始まったとされる。綿布への模様染めは、蝋防染法や媒染法、さらに木版捺染によってインド更紗の模様を模倣することから始まり、1648年にはマルセイユにフランス人による木版捺染業が開業、イギリスのロンドンでも1676年に木版捺染が実用化され、18世紀初期にはスイスのチューリヒ、ジュネーブに更紗工房が設立された。17世期にはヨーロッパ各地でインド更紗への熱狂的な流行が起こり、フランスでは国外への多大な金額の流出や伝統的毛織物、絹織物産業への打撃から、1686年から1759年の間、インド更紗の導入及びそれらの模倣製品生産が法令で禁止され、他国に先駆けて始まっていた工房は閉鎖された。再びフランスの更紗工房が復活するのは禁令が解かれた後、1760年にオーベルカンプ(Christophe Philippe Oberkampf 1738−1815)によってジュイに捺染工場が設立されたことによる。この頃には、1752年イギリスのフランシス・ニクソンによるエッチング銅版による銅版捺染法が開発され、1783年のトマス・ベルによる銅版ローラーによるシリンダー捺染法の完成、19世紀に入っての化学染料の開発によって、ヨーロッパ産更紗はインド風のものを脱して写実的な表現が可能となった。この間に紡績機械の発明、織布機械の開発、これらがジェームズ・ワットによって改良された蒸気機関と結合することで、機械製大工業の時代に入り、ヨーロッパの綿布、更紗は世界各国へ輸出されることになったのである。