写真(大一青果問屋)
概要
写真(大一青果問屋)
うえのしゃしんかん
富山県高岡市
大正7年(1918)~昭和初期
印画紙・現像
縦11.1cm×横15.9cm
台紙:縦19.3cm×横24.6cm
1葉
富山県高岡市古城1-5
資料番号 1-05-212
高岡市蔵(高岡市立博物館保管)
高岡市鴨島町にあった「大一青果問屋」の写真である。2階の柱間は14を数え、3階は櫓のようであり、広壮な平入りの建築であったことがうかがえる。千鳥破風及び3階入母屋の妻には「大一」と大きく屋号がみえる。1階奥には法被を着た従業員らがみられる。
【大一青果問屋】
大正7年(1918)6月、高岡市鴨島町に設立された。資本金10万円の株式会社である。社長は高岡財界の巨頭・平能伊右衛門。同年11月、二番町に設立された「丸一青果問屋」(社長・柳村政吉、資本金3万円、のち10万円)と鎬を削った。県外産の成果物を多く扱った。昭和15年(1940)、「配給統制令」が施行され、1割の問屋口銭を6分に引き下げ、仲買人への歩戻し金、出荷人への奨励金を全廃したが、その程度の改革では間に合わず、大一・丸一両会社を解散合同し、その他個人問屋をも糾合して、同年11月「高岡青果物株式会社」が設立された。資本金19万5千円、初代社長に油谷弥平が就任し、呉西一市四郡の青果物配給は一元化された。
【上野写真館】
台紙左下にエンボス加工印「上野」、右下に「高岡市片原町/上野写真館」とある。
以下同店HPを引用する。「創業百二十年 高岡の老舗写真館」5代にわたり、レンズを通してお客様の笑顔を見つめてきました。上野写真館の前身は代々続く造り酒屋でした。1890年(明治23年)に上野為次郎が写真館を創業しました。当時、カメラのレンズは家一軒を建てられる程の価値があり、写真館自体が珍しいものでした。2代目粂太郎は版画家棟方志功とも深い交流があり、当館にもたびたび訪れ、「娘の写真を撮ってほしい」との手紙も残っています。 現在も親子代々にわたり撮影をさせていただいているお客様も多くいらっしゃいます。
※参考文献
・『高岡市史』下巻(昭和44年、高岡市)
・上野写真館公式ウェブサイト
所蔵館のウェブサイトで見る
高岡市立博物館