金属製瓶子(一対)
きんぞくせいへいし(いっつい)
概要
宮野家資料。
金属製の御神酒入れ。1対で蓋付き。どちらにも右読みで「奉納」の文字が刻まれている。また、下部には「西村花枝/滝内たつ/宮野彌一郎」、「渡部カツ/吉池キヨシ/大町菊枝」とそれぞれ刻まれている。
宮野彌一郎(1887~1937)は、梅松園2代目。1894年、一平の養子(草島村(現富山市)守山真太郎の子)となり、一平の死去(1912年1月21日)と同日に家督相続。だが、同年3月7日、一平の子・保一に代を譲り隠居した。
他の名前は不明。
高岡を代表する料理旅館であった宮野梅松園は、明治後期に初代 宮野一平氏(?~1912)が末広町40番地に創業し、3代目の宮野保一氏(1885~1977)が昭和17~18年頃まで営業していた(寄贈者は4代目にあたる)。なお、宮野氏の先祖は藩の足軽であったと伝わっており、宮野梅松園が営業していた土地は高岡町奉行 伊藤内膳(1594~1669)の屋敷地であり、のち御旅屋の庭園となったという。