紙本墨画七本杉図
しほんぼくがしちほんすぎのず
概要
紙本墨画七本杉図
しほんぼくがしちほんすぎのず
富山県高岡市
昭和2年11月/1927年
紙本・墨画・軸装
縦135.3cm×横31.7cm
全体:縦204.1cm×横43.6cm,軸長49.0cm
1幅
富山県高岡市古城1-5
資料番号 3-01-01-109
高岡市立博物館
七本杉伐採を請け負った高岡市定塚町の材木商・河原外吉が記念として製作し、関係者に配布した内の一幅(昭和2年11月22日付「高岡新報」)。七本杉の伐採直前に描かれた。
中島秋圃(1878~1961)は東京出身。東京美術学校卒業後、富山県立工芸学校(現高岡工芸高校)で勤務する傍ら、多くの山水・花鳥画を残し、後進の育成にも努めた。享年83。
大橋二水(1859~1940)は京阪で漢学・東京で英語を学ぶ。明治14年(1881)に高岡片原横町に越中義塾を創設。県議を経て、晩年は漢詩を究めるなど文化人としても高名だった。
七本杉は高岡駅前(末広町39の現・SMBC日興証券高岡支店の前)に立っていた巨木。一説には根元から七本の枝が天に向かって伸びていたためその名があるといわれる。七本杉は樹齢千数百余年・高さ38m・周囲18m(20mとも)あったといわれ、古来より巨木・七本杉には神霊や天狗がいるともいわれ、ご神木ともされた。
明治31年(1898)には高岡駅(当時は射水郡下関村)が新設され、末広町通りは交通の要路となっていくが、七本杉は以前から枯れて倒壊の危険があったうえ、交通や市街地化の妨げになってきたため昭和2年(1927)に伐採が決定し、11月18日の式典を経て26日に伐採された。またこの七本杉は全国銘木類抄にも掲載され、明治44年(1911)七本杉は全国一の古木であることが立証されている。
<参考文献>
・昭和2年(1927)11月22日付「高岡新報」
・『高岡三代名作美術展』高岡市立美術館・高岡市立博物館,平成元年
・『富山県大百科事典』北日本新聞社,1994年