行書虹県詩巻
ぎょうしょこうけんしかん
概要
この巻物は、11世紀後半から12世紀初頭に活躍した、米芾(べいふつ)という北宋時代を代表する書人が、自ら詠んだ3首の詩を、大きく行書で書いたものです。虹県(こうけん)は、今の安徽省(あんきしょう)の北部に位置する宿州市(しゅくしゅうし)泗県(しけん)のこと。この地は、7世紀はじめの隋の皇帝、煬帝(ようだい)が完成させた大運河の一部である「通済渠」(つうさいきょ)が通る、風光明媚(ふうこうめいび)な水郷(すいごう)でした。
米芾は役人として赴任した江蘇省や安徽省の各地と、当時都のあった河南省の開封(かいほう)とを往来する際、たくさんの書画をたずさえて舟に乗り、この運河を通りました。舟の上で、心から愛した書画を広げて鑑賞し、目に映る各地の風景やときどきの感慨を、詩に託したのでしょう。ここに書かれる詩にも、多くの書画と明月の夜をともにし、川沿いに美しく咲きほこる花の中を舟が進んでいく情景がうたわれています。
書は墨の潤(うる)みとかすれがはっきりしており、かすれの部分も筆は浮わつかず、線は鋭さと強さを兼ね備えています。書き進むにつれて、文字の大きさや線の太さは変化に富むようになり、より一層、躍動感のある筆法となります。署名はありませんが、紙の継ぎ目と詩文の末尾には、米芾の印が押され、詩の内容や書風から、米芾が宮中で書画の鑑識や教授にあたる「書画学博士」(しょががくはくし)という官職に任ぜられた、56歳頃の書と考えられます。最晩年の代表作として有名な作品です。