小治田安万侶墓誌
おはりだのやすまろぼし
概要
墓誌とは、時代が移り変わってもそのお墓の主がだれかを明らかにするために、板や骨壺などに文字を記したものです。現在の墓碑とは違い、お墓に一緒におさめられました。もとは中国の習慣であったのが、7世紀末ごろから8世紀にかけて日本でも取り入れられました。日本では西日本を中心に16例しか見つかっていないのですが、その中でもこの墓誌は3枚一組というめずらしい例です。主板(しゅばん)1枚と副板(ふくばん)2枚からなり、主板は銅に金メッキをかけた豪華なものです。
さて、この墓誌には何が書かれているのでしょうか。大きなサイズの主板は「右京三條二坊(うきょうさんじょうにぼう)」という文字で始まります。このお墓に入っている人物が住んでいた場所でしょうか。現在の奈良市大和西大寺(さいだいじ)駅の南のあたりです。続いて、従四位下(じゅしいげ)という位の、小治田安万侶(おはりだのやすまろ)という人物であったと書かれています。小治田安万侶については、蘇我氏の同族であるということ以外は、詳しくわかっていません。主板と副板には没年月日と思われる神亀(じんき)六年(729)二月九日という文字が見えます。副板にはそれぞれ「琴」と「書」の文字が刻まれています。これは、当時の中国で理想的な教養をあらわすことばとされていました。故人の人柄をたたえたものかもしれません。墓誌に刻む文言や思想も中国から大いに影響を受けていたことがわかります。
この墓誌は、火葬した骨をおさめたと考えられる木櫃(もくひつ)や、銀製の和同開珎(わどうかいちん)、三彩壺(さんさいこ)や須恵器の断片、土師器のかめなどと一緒に出土しました。これらは現在、一括して重要文化財に指定され、お墓の主が誰なのか、また当時の人々が故人をいかに丁寧に埋葬したのかを伝えています。