紺表紙小双紙
こんびょうしこぞうし
概要
守覚法親王(一一五〇〜一二〇二)が集成した仏事法会の儀式次第であり、仁和寺御経蔵の聖教に含まれる一群である。守覚は後白河法皇の第二皇子として藤原季成の女成子との間に誕生した。永暦元年(一一六〇)に仁和寺北院にて父後白河の同母弟覚性を戒師として出家し、嘉応元年(一一六九)、覚性の入滅にともない仁和寺第六世門跡となった。広沢・小野両流の秘伝をまとめて御流を大成したことで知られる。
全三函のうち一函は三一二点を納めた鎌倉時代の写本で、他の二函はそれらを江戸時代に筆写したもの。いずれも半紙四分の一程度の小さな本である。鎌倉時代の写本は粘葉装の冊子が大半を占め、紺紙包背装の表紙が付けられ、表紙左側には白紙の題簽を貼り継ぐ。表紙、本紙ともによく打った楮紙打紙が用いられていて、料紙の調整が丹念になされている。本文の書写は基本的に一帖一筆で書く。執筆者は四、五人程度の複数人と認められる。書写の態度は極めて謹直、丁寧であり、奥書の記述から二度、三度と校合されたことが知られる。これらのことから、統一的な規格によつて丁寧に作成された清書本と知られる。
粘葉装の形態には二類型がみとめられ、一つは半丁に押界四行を引いて本文四行を書き、縦一六センチメートル、横九・五センチメートル程度と縦長である。もう一つは半丁に淡墨界を天三地単にひき、本文四行を書く。縦一五・五センチメートル、横一〇センチメートル程度とやや幅広である。
奥書や外題にある年紀では、最古の年紀は「成俊唐本一切経供養略次第(養和二年/四月二日)」の外題にある養和二年(一一八二)四月二日である。最新の年紀は「公家孔雀経御読経導師略次第(一日/儀)」にある「建仁二年(一二
〇二)六月廿七日以紺表/紙小造紙御書寫之」の書写奥書である。よって『紺表紙小双紙』の底本とした次第が作成され法会で用いられたのは、すくなくともこの間のことと考えられる。守覚の入滅は建仁二年九月十三日であり、『紺表紙小双紙』の作成はその直前まで行われていたことがわかる。底本としては、奥書に「御本」という表記があることから、守覚が作成に関わってきた本が用いられたと考えられる。
『紺表紙小双紙』は、仁和寺だけにとどまらず、後白河法皇も深く関わった仏事法会の次第の集大成であり、我が国の仏教史研究、さらには政治史、経済史研究においても極めて貴重である。
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