瀕海都城図
ひんかいとじょうず
概要
荒木如元(あらきじょげん)(1765~1824)はもと一瀬氏、通称は善十郎のちに善四郎といいました。唐絵目利・荒木元融(げんゆう)の跡を相続して荒木と改め、のち復帰して一瀬善四郎と称しました。役目で輸入鳥獣のスケッチも描いた時期があり、阿蘭陀通詞・吉雄耕牛(よしおこうぎゅう)の肖像や『蘭エン摘芳(らんえんてきほう、エンは「田」に「宛」)』の挿絵「阿郎烏烏当(オランウウタン)写真図」など、真に迫る的確な描写が同時代の長崎の画家の中では群を抜いています。『瓊浦画工伝』に「融思の硝子画法を偸み学び、専ら蛮画を巧にす」とあり、若杉五十八に少し遅れて本格的な洋風画やガラス絵を描きました。本図は、輸入のキャンバスと絵具を使用したと思われ、油彩画の技術も舶載の西洋画を思わせる完成度を示しています。落款はありませんが、基準作の「蘭人鷹狩図」(長崎歴史文化博物館)や「オランダ海港図」(大和文華館)と同質の筆致が見られ、如元の作品と認められます。
【長崎ゆかりの近世絵画】