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因幡・但馬の麒麟獅子舞

いなば・たじまのきりんししまい

概要

因幡・但馬の麒麟獅子舞

いなば・たじまのきりんししまい

無形民俗文化財 / 中国・四国 / 鳥取県

鳥取県

鳥取県鳥取市、岩美郡岩美町、八頭郡八頭町・若桜町・智頭町、東伯郡湯梨浜町、兵庫県美方郡新温泉町・香美町

指定年月日:20200316
保護団体名:無形民俗文化財「因幡の麒麟獅子舞」連合保存会、但馬地域麒麟獅子舞保存会
神社祭礼日ほか

重要無形民俗文化財

 因幡・但馬の麒麟獅子舞は、中国の想像上の霊獣麒麟を想起させる獅子頭を用い、頭に付いたカヤ(蚊帳)と呼ぶ胴幕(どうまく)に二人が入って舞う二人立ちの獅子舞である。猩々(しょうじょう)と呼ばれる役が付き、太鼓、笛、鉦(かね)の囃子(はやし)にあわせ、獅子は地を這うようにゆっくり頭を回したり、ひねったり、伸び上がるように頭を上げたりして舞うものである。麒麟獅子舞は、鳥取市を中心とした鳥取県東部から兵庫県北西部にかけて分布する。とりわけ旧鳥取市域に多く、旧市域から離れるに従い減少する。分布域の南限は智頭町で、西端は気高町(けたかちょう)(現鳥取市気高町)、東は兵庫県に及び、東端は兵庫県香美町となる。平成三十年三月に刊行された報告書によれば、鳥取県では、一三二の獅子舞が一三五社の神社に、兵庫県では、一〇の獅子舞が一一社の神社に奉納されている。
 麒麟獅子舞は、因幡東照宮(後の樗谿神社(おうちだにじんじゃ)、現・鳥取東照宮)の祭礼行列で舞い始められたといわれる。因幡東照宮は、鳥取藩初代藩主池田光仲(いけだみつなか)が初めて国入りした慶安元年(一六四八)に幕府から東照宮勧請が許可され、慶安三年(一六五〇)に創建された。初めての祭礼行列が盛大に行われたのは、慶安五年(一六五二)九月一七日である。鳥取藩の侍医であった小泉友賢が元禄元年(一六八八)に書き上げた『因幡民談記』(いなばみんだんき)によれば、祭礼行列には「獅子」が出た。江戸時代の文献資料には「麒麟」の表記は出て来ず、「獅子」と記されるのみで、どのような獅子が祭礼行列に出たのかは判然としないが、絵画資料においては、現在の麒麟獅子舞と同じ相貌の獅子が、明和三年(一七六六)の「権現祭礼絵巻 東照宮祭礼絵巻」以降、確認することができ、江戸時代中期には、獅子頭が麒麟を想起させる形状になったと考えられる。文政十二年(一八二九)成立の『鳥府志』(ちょうふし)には「獅子」の説明に「金色の唐獅子、緋緞子にて其身を粧ひ、さて猩々は金箔濃貼の瓢箪(ひょうたん)と盃を腰につけ、朱棒を揮て鼻を引く。此所にての鉦鼓・笛はいかにも押しづめて邌て行。但し還御の時は、家々の所望に任せて獅子の舞あり。御初穂は猩々の請いにてこれを指揮す。」とあり、現在の麒麟獅子舞の姿をうかがわせる。
 現在、濃密な分布をみる麒麟獅子舞であるが、江戸時代にはそれ程の広がりを持たなかった。鳥取市湯所町(ゆところちょう)の湯所神社には天明八年(一七八八)という現在分かる範囲で最も古い麒麟の頭が残されているが、このように紀年銘などから江戸時代に麒麟獅子舞が行われていたことが確認できるところは、それほど多くない。これは、鳥取藩が獅子庄屋を定めて獅子の上演や伝授などの管理に当たらせていたことが関係していると考えられる。多くの神社に伝わったのは明治時代に入ってからである。他所から習う時には、もとの伝承とどこかは変えるものといい、麒麟獅子舞としての共通項はもちながら、頭の形状や舞振りなど、一つとして同じ伝承はない。なお、「麒麟」という文字が使用されるのは、明治時代末期以降である。
 因幡・但馬の麒麟獅子舞は、各地域の春夏秋の神社祭礼で行われることが多く、そのほか初午(はつうま)や正月に行うところもある。鳥取では、神社祭礼には大規模な神幸を伴う「大祭」と神幸を行わない「地祭」があり、麒麟獅子舞は大祭では神幸に加わり、神社境内や御旅所(おたびしょ)などの所定の場所で「本舞」「本練り」「本舞わし」と呼ばれる本式の舞を舞い、加えて氏子の家々を巡って「門舞」「門付」「門練り」「門舞わし」と呼ばれる短い舞を舞う。家の新築や祝い事などがあって希望する家では本舞を舞う。獅子は、地域の青年団や自警団が務めることがほとんどであるが、初午では子供が獅子を奉納する地域が多い。
 麒麟獅子舞の頭は、前後に細長く頭頂に一本の角がある形状をしている。これに、緋色(ひいろ)の緞子(どんす)地に背中に黒い帯状の部分が入ったカヤと呼ばれる胴幕が付き、二人の演じ手が入って獅子を舞わす。獅子頭を動かす前の演者は「頭役」「前脚役」「前かぶり」などと呼ばれ、カヤの後方に付いた「オカンムリ(尾冠)」を被る後の演者は「後役」「後脚役」「後かぶり」などと呼ばれる。猩々は、猩々の赤い仮面とシャグマを着け、腰から瓢箪を下げ、「棒」「朱の棒」などと呼ばれる棒を持つ。囃子は笛、太鼓、鉦(しょう)で構成される。鉦は鳥取では鉦鼓(しょうこ)を用い、兵庫では因幡一宮の宇倍神社(うべじんじゃ)から学んだという地区を除き、銅拍子(どびょうし)をジャンジャンと呼んで使用している。
 舞には「キザミ」「スネオリ」「クネリ」などの名前が付いた動作があり、これらの動作を組み合わせた動作の型の繰り返しから獅子舞は構成されている。神社境内や御旅所などでは本式の舞を舞うが、舞う機会に応じて動作の型の繰り返す回数を調整し、臨機応変に全体の長さを変えて舞う。門舞では本舞の一部の動作を行う。氏子の家々を巡る時には、花代の金額によって舞の長さを変える。猩々は多くの場合、舞の最初と最後の部分に登場し、両足を交差させて移動したり、片足を長時間上げたまま静止したりする所作を行う。氏子の家々を巡る時には付かないことが多い。麒麟獅子舞の舞い方は、地を這うようにゆっくり頭を回したり、ひねったり、伸び上がるように頭を上げたりする動作に特徴があり、地元では厳粛、荘重と表現される。

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