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絵葉書(高岡市内・伏木・高岡公園)

えはがき(たかおかしない・ふしき・たかおかこうえん)

概要

絵葉書(高岡市内・伏木・高岡公園)

えはがき(たかおかしない・ふしき・たかおかこうえん)

その他 / 富山県

富山県高岡市

明治~昭和期

紙,印刷

30葉

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-05-69

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

明治から昭和期にかけて発行された、高岡関係絵葉書である(計30葉)。


【1】絵葉書「(伏木名勝)伏木港口全景(其二)」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月

【2】絵葉書「(伏木名勝)伏木港口全景(其三)」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月

【3】絵葉書「七本杉(稀代の古名木)」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月
解説:高岡・末広町通りにあった七本杉を中心に高岡駅方向を写したもの。七本杉は樹齢千年以上の老木といわれ、樹高は38m余りで7本の大枝をのばしていたが、1894年の強風で2本となった。高岡駅前通りの中心にありこの七本杉により交通妨害を引き起こし、また老樹の衰えも進んだことから1927年伐採された。棚田書房発行。

【4】絵葉書「雪中の伏木港全景」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)

【5】絵葉書「雪中の伏木国分海岸」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)
解説:雪が積もる伏木国分海岸の様子。

【6】絵葉書「(越中名勝)義経の雨晴」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)

【7】絵葉書「伏木渡船場より眺めたる雪景」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)

【8】絵葉書「高岡市本町通り」
年代:明治40年(1907)頃
解説:高岡市御馬出町から守山町を望む。右に見える建物は高岡郵便局。

【9】絵葉書「越中義経雨ばらし」
年代:明治33年(1900)~同40年(1907)3月
解説:義経岩付近に家屋が建つ。海の水色などが彩色された「手彩色絵葉書」。「義経岩」は鎌倉幕府の追捕を受けた源義経主従が奥州へ落ち延びる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという岩で、地名「雨晴」の由来となっている。2015年には「おくのほそ道の風景地」の一つとして「有磯海」(義経岩のある雨晴海岸一帯)が国の名勝に追加指定された。

【10】絵葉書「雪中の伏木市街(二)」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)
解説:雪が積もる伏木市街の様子。

【11】絵葉書「伏木海岸全景/射水川より眺たる伏木港」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月

【12】絵葉書「高岡市県社 関野神社」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)
解説:関野神社を写したもの。棚田書房発行。

【13】絵葉書「高岡公園池畔の桜」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)

【14】絵葉書「高岡桜馬場公園」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)
解説:桜馬場公園は1902年に公園化され、高岡市民のみならず、県内、県外(金沢や福井など)からも花見客が訪れ、臨時列車が運行されるほどの盛況ぶりだった。高岡学海堂発行。

【15】絵葉書「高岡公園(其四)御竹薮四阿屋」
年代:消印:大正5年(1916)6月25日
明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月

【16】絵葉書「(高岡名勝)古城公園池の端の桜」
年代:昭和8年(1933)2月~同19年(1944)
解説:桜花の中、明丸を歩く人々。右は現在の動物園。タイトルに「池の端」とあるが誤り。

【17】絵葉書「伏木港繁船の光景」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)

【18】絵葉書「塩専売局出張所/伏木測候所」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月


【19】絵葉書「王子製紙伏木工場調成室」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)
発行:明治印刷株式会社

【20】絵葉書「王子製紙伏木工場第一抄紙室」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)
発行:明治印刷株式会社

【21】絵葉書「王子製紙伏木工場調木室」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)

【22】絵葉書「王子製紙伏木工場仕上室」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)

【23】絵葉書「庄川のほとり(農家の馬屋肥の運び)」
年代:昭和8年(1933)2月~同19年(1944)
解説:馬屋肥とは、家畜の糞尿や敷き藁などを腐らせて作る肥料のこと。庄川(富山県西部)の近辺の農村にて。

【24】絵葉書「射水新庄川橋」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月

【25】絵葉書「古城公園駐春橋」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)
解説:現在の二の丸の護国神社付近から大手町方面を写したもの。この橋は湾曲が強く、「太鼓橋」(転じて「太閤橋」)と呼ばれていた。

【26】絵葉書「夏期の義経雨晴海岸」
年代:大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)
解説:義経雨晴海岸付近で海水浴を楽しむ人々。

【27】絵葉書「(越中名勝)伏木港の景」
年代:消印:大正9年(1920)8月16日
大正7年(1918)4月~昭和7年(1932)
解説:彩色絵葉書。数艘の船が伏木港に停泊している様子。煙を上げた蒸気船も見える。伏木築港工事は1900年に開始された庄川河道改修工事の付帯工事として実施され、1912年に完成した。それにより伏木港は大汽船が接岸し、貨客を直ちに鉄道に直結できるという利点をもつ日本海沿岸の最初の近代港湾となった。

【28】絵葉書「義経雨晴出島と忠魂碑」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月
解説:写真中央には女岩、右隅の義経岩上には忠魂碑が建つ。女岩は出島と呼ばれていたことや、現在の義経神社(旧・太田小奉安殿)のある頑丈に忠魂碑が建っていたことがわかる。伏木北村書店発行。

【29】絵葉書「高岡公園塵不溜池ヨリ群衙ヲ望ム」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月
解説:現在の古城公園前交差点から博物館のある鍛冶丸方面を望む。左奥には射水郡役所(1881年設置)がみえる。現在と異なり、樹木が少なく、土塁の方面がよく見える。「塵不溜」は枡形堀の別名。

【30】絵葉書「越中義経雨晴シノ雄島」
年代:明治40年(1907)4月~大正7年(1918)3月
解説:雨晴海岸にある男岩を写したもの。表題には「雄島」とある。

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