間重富関係資料
はざましげとみかんけいしりょう
概要
間重富(1756~1816)は、江戸時代後期の在野の天文暦学者で、天体観測に基づく天文学研究を発展させた麻田剛立の門下生である。寛政7年(1795)に幕府の暦学御用を勤めるために、同門の高橋至時(1764~1804)とともに出府し、同9年に我が国ではじめて西洋天文学の知識を導入し作成した寛政暦法を完成させた。
本件は、寛政改暦をはじめ江戸時代後期における天文暦学に関する事績を有した間重富から重明までの4代の間に間家に伝来したと認められる資料群で、内容から6種類に分類される。
著述稿本類は、重富・重新の著述稿本類と、重富による『ラランデ暦書』の訳書の草稿類等、天文暦学関係のものを中心とする。ほかに重新自筆の重富の伝記「先考大業先生事跡略記草稿」は、重富に関する同時代の伝記として注目される。
測量記録類は、間家実施分を中心に、幕府天文方や地方の門人等から間家に報告されたもの429点を数え、本資料群の中核を占める。測量野帳類、測量結果を考察、推歩し成稿した測量記録類、測量記録の写本類の3種に大別される。測量対象別では2至2分における太陽赤道経緯度、日月食、五星及び天王星、凌犯(掩蔽)、彗星等に分けられる。測量機会が多い日月食の測量記録が最も多く、無測時を含め87回分と多数を数える。これらは、幕府天文方のまとまった測量記録が限られる中で、江戸時代後期の我が国の天体測量記録群として一次史料を多く含む質量ともに豊富な史料群と評価されよう。
文書・記録類は、文書90点、記録20点、書状58点に大別され、内容は(御用)測量に関するものが最も多く、外国と我が国の度制を比較検討した古尺取調に関するもの、大坂城代への挨拶に関するものがある程度まとまる。
典籍類は、重富・重新自筆写本や、蔵書印である朱文複槨長方印「間五郎兵衛蔵書記」等を捺すなど伝来が確実なものを中心とし、内容は天文暦学、算学に関する典籍から構成される。
地図・絵図類は、享和2年(1802)に実施された西国街道測量図11鋪が大半を占める。播磨国赤穂郡宿村から備前国邑久郡藤井村に至る道筋の測量図で、野帳から地図化する際の第一段階の下図に該当するとみられる。重富の測量の内容、地図化の方法を知る上で唯一の資料として注目される。
器物類は、間家伝来と判明するもののみとし、望遠鏡2器、重富・重新所用の眼鏡2点、曲尺1点、コンパス1点、印章1顆の7点である。望遠鏡はオランダ製の屈折望遠鏡とイギリス製の反射望遠鏡の2器で、使用時期が特定できる点において稀有の資料である。
本資料群は、間家における御用測量を中心とした天体測量記録が充実している点が特筆され、学問の内容や活動の実際を知り得る資料群と相俟って、西洋天文学の受容と天体測量により飛躍的に発展を遂げた18世紀末から19世紀にかけてのわが国の天文暦学の歴史を知る上において学術価値の高い資料群といえる。