自画像
概要
川端画学校では生渡師と仰ぐ藤島武二と出会い、石膏デッサンの名手としてならした。1918年に東京美術学枚西洋画科予備科(現在の東京藝術大学油画科)に入学、1923年卒業を果たす。佐伯にとっての美術学校時代は、制作よりもむしろ人生における大きな分岐点の連続であった。相次ぐ肉親の死、池田米子との恋愛、結婚そして一人娘彌智子の誕生。《自画像》(No.1)の幼さを残す面差しは消え、青年期特有の、自我の不安定さを感じさせる自画像を多数描いた時期に重なっている。
本展のためのエックス線調査において、完成作の下層から横長の画面に丸皿の上のリンゴと絵筆の画像が確認された。美術学校時代、佐伯は里見勝蔵や友人の山田新一らとともにセザンヌの画集に夢中になり、互いのリンゴの写生を批評し合ったことがあり、その若い情熱の余韻を残す一枚である可能性が高い。(生田ゆき)