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木造刀八毘沙門天及び勝軍地蔵坐像

もくぞうとうはちびしゃもんてんおよびしょうぐんじぞうざぞう

概要

木造刀八毘沙門天及び勝軍地蔵坐像

もくぞうとうはちびしゃもんてんおよびしょうぐんじぞうざぞう

木像 / 室町 / 中部 / 山梨県

康清

山梨県

室町時代

木造、切金、彩色、玉眼嵌入

〈像高〉
刀八毘沙門天像 12.2㎝
勝軍地蔵坐像   11.2㎝

2軀

山梨県甲府市岩窪町500

山梨県指定
指定年月日:20170302

有形文化財(美術工芸品)

 『甲斐国志』巻八二円光院条(一)によれば、当寺は当初八代郡小石和に創建されたが、永禄年間(一五五八‐七〇)に武田信玄が躑躅が崎の館(現武田神社)東方の現在地に移したとされる。移転後、信玄は説三恵 を住持として招き、元亀元年(一五七〇)正室三条夫人が亡くなると、当寺を菩提寺とし、その法号から寺名を円光院と改めるなど、当寺は信玄との関わりの深い寺院である。
 本二像は、当寺二世明院玄昉が、元和元年(一六一五)に記した「刀八毘沙門天、勝軍地蔵尊縁起」(二)によれば、武田家総鎮守として城内に祀られており、信玄の信仰深く、行軍の際にも座右を離さず、天正元年の死去に際し、馬場美濃守に命じて本二像を当寺説三和尚に送らしめたという。先にみたような当寺と信玄との深い関わり、また本二像が軍神としての性格を強くもつことからすると、この縁起に記すように、本二像は、本来は躑躅が崎館に祀られており、信玄により当寺に移されたとしてよいと考えられる。

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