岡倉天心旧宅・庭園及び大五浦・小五浦
おかくらてんしんきゅうたく・ていえんおよびおおいづらこいづら
概要
近代日本美術の発展や文化財保護に多大な功績を残した岡倉天心(本名覚三(ほんみょうかくぞう),1862~1913)が転居した地。邸内には現在,居宅,長屋門,六角堂をはじめ,天心が造った庭園がある。居宅から見える大五浦・小五浦は大小の岩礁が点在する豊かな風致景観を成している。
岡倉天心は日本の美術思想家で,明治31年(1898)に東京美術学校校長を辞職後,日本美術院を設立し,明治36年に五浦に転居した。その後約1年間のボストン滞在から戻った天心は邸宅の大改造に着手した。
天心邸の敷地は,なだらかに海へと傾斜する固い岩盤上にあり,一部はダイナマイトを用いて造成された。当時の建物のうち,母屋の中心部分や長屋門は現在も残る。また,眼前に広がる太平洋(大五浦・小五浦)とそこに点在する岩礁も庭園の要素として取り込まれている。
以上のように,本遺跡・庭園は日本近代の美術の歴史及び造園文化の発展に寄与した意義深い事例である。