ヱーセルテレカラフ
えーせるてれからふ
概要
ヱーセルテレカラフ
えーせるてれからふ
長崎県
江戸時代
本体広葉樹(ケヤキか)製寄木造
[附属品]
一、送信機外箱 杉台差箱
一、受信機外箱 杉台差箱
送信機 全高 13.0
最大幅(回転部径) 31.1
台座 幅29.7 奥行 34.0
受信機 全高 80.8
台座 最大幅 36.3
奥行 36.3
[附属品]
一、送信機外箱
幅三四・五 奥行三八・八 高二〇・八
一、受信機外箱
幅四三・〇 奥行四二・五 高八八・一
(単位はすべてセンチメートル)
一、送信機 1台
一、受信機 1台
長崎県諫早市東小路町2-33
重文指定年月日:20150904
国宝指定年月日:
登録年月日:
国宝・重要文化財(美術品)
送信機と受信機の2台からなる指字式電信機である。各収納箱墨書銘に「元治元年甲子八月」「中村考」「ヱーセルテレカラフ」と記され、本電信機が元治元年(1864)以前に中村という人物により考案された、「ヱーセルテレカラフ(wijzer telegraaf、指字電信機)」と称した器機であることが示唆される。
本機は、送信機の電鍵を押すことにより、受信機側の鐘を叩く機構と、送信機の文字盤を回転させることにより、受信機の指字針を回転させて文字を伝える機構を有する。両機構とも送信機から電気信号を回線により伝達し、受信機中の電磁石により動力に変換して通信手段とする。安政元年(1854)刊の川本幸民著『遠西奇器述』中のロゲマン式電信機の記述および図と本機とを比較すれば、本機には鐘を叩く機構が付加される点、電磁石の形状や駆動装置の配置を変更する点など、各所に創意工夫のあとがみられる。真鍮および鉄製各部品は精緻で加工技術の高さを示すこと、それらの形状は木製台座、脚等にも共通して装飾性を意図したものであることなどの特徴から、時計師の技術、意匠をもとに幕末期に制作された電信機と判断される。なお、実用時には電池、電線が必要であるが、現在は失われる。
嘉永7年(1854)5月、佐賀藩主鍋島直正は同藩精煉方の中村奇輔、田中近江・儀右衛門父子らに電信機制作を命じた。安政4年、鍋島直正は佐野常民、中村奇輔を遣わし、完成した電信機を島津斉彬に贈ったと伝える(『鍋島直正公伝』)ことから、同年までには精煉方にて電信機制作に成功したと認められる。一次史料に恵まれないが、前述した本機の特徴から、箱書にみられる「中村」は佐賀藩精煉方の中村奇輔を指し、時計師として高い技術を有した田中儀右衛門らも本電信機制作に関与したと考えられる。
本件は、蘭学の知識を基礎にわが国にて改良、制作された指字電信機で、幕末期の国産電信機として伝存する唯一の遺例であり、わが国における西洋科学技術の受容の在り方を示して学術的価値が高い。