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大川内山樋口家土型・石膏型

おおかわちやまひぐちけつちがた・せっこうがた

概要

大川内山樋口家土型・石膏型

おおかわちやまひぐちけつちがた・せっこうがた

その他 / 江戸 / 明治 / 大正 / 昭和以降 / 九州 / 佐賀県

福岡六助ほか

佐賀県

江戸後期~明治以降/紀年銘より少なくとも1850年から1900年

素焼きの粘土製又は石膏製。形状は、製作しようとする人形などの置物類各種、皿や鉢などの器類各種、装飾や取り付け部品などの各種に合わせたものである。

径5㎝×高さ3㎝程度のものから、長さ30㎝×幅40㎝×高さ40㎝程度のものまである。
15g程度から4.5㎏程度までのものがある。

一括

佐賀県伊万里市黒川町小黒川279-1

伊万里市指定
指定年月日:20130524

伊万里市長

有形文化財(美術工芸品)

 明治4年まで大川内山で焼かれていた鍋島藩窯製品の土型は、明治4年の藩窯廃絶時に手伝窯焼の畑瀬武右衛門によって、400両で一括して落札されたと言われている。畑瀬武右衛門は藩窯廃絶後に自分の窯を経営していたが、経営不振に陥った折、同じ元手伝窯焼で陶業を営んでいた福岡六助、市川卯兵衛、森某ら3人に、自身の持つ土型の一部を分売したようである。この福岡六助の後継者が樋口長三とされており、以来、樋口家で土型は保管されていた。
 その後、昭和50年11月に民俗資料調査のため、樋口製陶有限会社・樋口長七氏宅の家屋を調査した折、藩窯製品の土型ならびに福岡六助、樋口長三、長七ら三代が使用していたと思しき土型・石膏型が確認された。昭和50年、51年にそれらの一部が調査され、その後、伊万里市の所蔵品となり、保管されるに至った。

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キーワード

/ 大川内 / 佐賀 / 鍋島

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