待月
たいげつ
概要
【作品解説】
画室の窓から馬洗川を隔てて見える松山と月が昇る風景に感銘を受けて制作した本作品により、元宋は11年ぶりとなる特選を受けた。画想を得てから作品を仕上げるまでには、心情に適う山の形、景色を求めて何度もスケッチに出かけ、ようやく見つけたのが長土手という場所である。次第に暗くなっていく夜空に月が顔を覗かせようとする瞬間を表現し、実景そのままを描くのではなく、心象風景を描こうとする画業の出発点となった。
元宋の場合、一般的な日本画家とは異なって、下絵を経ずに直接画面を作り上げることが多かった。その原点を求めると、小学5年生のときに図画担当教諭山田幾郎の指導のもと、山野に出かけてはスケッチに励み、卒業後に油彩画を志した経験があったことを挙げられる。戦時に疎開して以降、風景画に取り組む中でスケッチを精力的に行い、感得した心象風景をダイレクトに作品へ表わす作画手法は、やがて「元宋の赤」と称される、山岳を赤く燃え上るように染めた色彩表現を生むことになる。
【作家略歴】
1912(明治45)
広島県双三郡八幡村(現三次(市)に生まれる
1924(大正13)
図画教師であった山田幾郎教諭の指導で、絵を描き始める
1930(昭和5)
上京し、遠縁の日本画家児玉希望の内弟子となる
1933(昭和8)
師宅を出奔。この後、一時的にシナリオライターを目指す
1935(昭和10)
児玉希望に再入門
1937(昭和12)
雅号を本名「厳三」から「元宋」に改める
1938(昭和13)
第2回新文展《盲女と花》で特選を受ける
1942(昭和17)
この頃までに、靉光や寺田政明、船田玉樹らと交遊
1944(昭和19)
戦争の激化に伴い、広島に疎開(約9年留まる)。人物画から風景画に転じる
1949(昭和24)
第5回日展《待月》で特選、白寿賞を受ける
1962(昭和37) 第5回新日展《磐梯》で文部大臣賞、翌年には日本芸術院賞を受ける
1974(昭和49)
妻龍子を亡くす。翌年には《秋嶽紅樹》を発表、赤色を基調とする作風に転じる
1984(昭和59)
文化勲章を受章
1996(平成8)
京都、慈照寺(銀閣寺)の庫裏・大玄関および弄清亭障壁画を完成
2003(平成15)
東京都練馬区の自宅にて没