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富田長秀墓碑(歯塚権現碑)

とだながひでぼひ(はづかごんげんひ)

概要

富田長秀墓碑(歯塚権現碑)

とだながひでぼひ(はづかごんげんひ)

その他 / 中部 / 福井県

福井県

朝倉氏滅亡後、富田長秀は織田信長より府中城主に任命されるが、謀反を起こし一向一揆勢と連携して越前を制圧した。しかし、一向一揆勢とも対立した長秀は鯖江付近で勃発した合戦で討死している。
この戦乱で長泉寺が焼失し、村人は焼け残った経典などを土中に埋められて経塚とした。後世になって、歯痛に耐え切れず、箸を経塚に供えて祈願すると歯痛が治ったため、以後「歯塚大権現」として祀られるようになったという(「箸塚」とも)。
初建立年代は不明、天保8年(1837)7月6日に再建、明治22年(1889)7月に修繕されている。

福井県鯖江市長泉寺町地係

鯖江市指定
指定年月日:20140401

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