旧久留島氏庭園
きゅうくるしましていえん
概要
大分県の西部にある玖珠町には,江戸時代の久留島氏の陣屋跡があり,その周辺に武家屋敷地及び町人地などからなる城下町が広がっている。
陣屋跡には,藩主御殿に面する末広山(すえひろやま)の東傾斜面とその裾部(すそぶ)を利用して,巨大な石を多く用いた池泉(ちせん)庭園が造られている。また,傾斜面の上方に建てられた「栖鳳楼(せいほうろう)」の周辺には,城下町から九重連山(くじゅうれんざん)に至るまで,雄大な展望を活かした枯山水(かれさんすい)の庭園が展開している。さらに,清水(しみず)御門前には,近接して存在した御茶屋からの観賞を意図して,堀の一部に作庭された池泉庭園が残されている。これらの個性豊かな庭園は,第8代藩主であった久留島(くるしま)通嘉(みちひろ)が文政(ぶんせい)12年(1829)に現在の末廣神社の社殿を完成させた際に,立地と目的に合わせて一体的に造営したものと考えられている。
3つの庭園からなる旧久留島氏庭園の景観構成は変化に富んでおり,江戸時代後期にこの地方に伝播(でんぱ)した庭園文化の豊かな様相を示している。その芸術上の価値は高く,よって名勝に指定し,保護しようとするものである。
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国指定文化財等データベース(文化庁)