本間氏別邸庭園(鶴舞園)
ほんましべっていていえん(かくぶえん)
概要
近世に大坂と蝦夷地(えぞち)とを結ぶ航路上の港町として栄え,最上(もがみ)川河口部の物資の集散地
としても発展を遂げた酒田には,近世から近代にかけて問屋・海運業などを主軸に豪商・地主として成長を遂げた本間氏の邸宅が存在する。
文化(ぶんか)10年(1813)に庄内藩主であった酒井忠器(ただかた)が領内巡検を行ったのに先立ち,本間氏第4代の本間光道(こうどう)は藩主の休憩所として別邸を構え,主屋(しゅおく)と池泉(ちせん)からなる回遊式庭園を営んだ。来遊した忠器は,秀麗な鳥海山(ちょうかいざ(さ)ん)を望む建物に「清遠閣(せいえんかく)」と名付けたほか,池泉中島の松の木に鶴が舞い降りたことにちなみ,庭園に「鶴舞園(かくぶえん)」と名付けたとされる。
近世後期から近代にかけて日本海の海運業などを主軸に成長した豪商・地主の本間氏が,近世の港湾都市酒田を支えた荷役労働者の冬季における労働力を活用して造営した回遊式庭園であり,赤や青など色彩豊かな景石(けいせき)(庭園の景観の要素となる庭石)を用いるほか,清遠閣の2階座敷からは,鳥海山を借景として地形の変化に富んだ池泉庭園の全景を俯瞰(ふかん)することができるなど,意匠・構成は優れている。その芸術上の価値は高く,よって名勝に指定し保護しようとするものである。
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国指定文化財等データベース(文化庁)