講堂
こうどう
概要
永禄9年(1566)の「信濃高郡小菅山元隆寺之図」に講堂が描かれていて、講堂の近くには鐘楼や金堂があった。いったんは甲斐武田氏の兵火で失ったが、天和2年(1682)の「領内寺社領並由緒書差出帳」には、講堂の存在が記されている。元禄10年(1697)に松平忠喬が講堂を修復したという記録とつきあわせると、松平時代(1639~1705)に再建されたことを伺わせる。現存する寄棟造りの講堂は寛保元年(1741)に再建されたものという。
こうどう
永禄9年(1566)の「信濃高郡小菅山元隆寺之図」に講堂が描かれていて、講堂の近くには鐘楼や金堂があった。いったんは甲斐武田氏の兵火で失ったが、天和2年(1682)の「領内寺社領並由緒書差出帳」には、講堂の存在が記されている。元禄10年(1697)に松平忠喬が講堂を修復したという記録とつきあわせると、松平時代(1639~1705)に再建されたことを伺わせる。現存する寄棟造りの講堂は寛保元年(1741)に再建されたものという。
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