鳥坂寺跡
とさかでらあと
概要
鳥坂寺跡は,大阪府柏原市大字高井田に所在し,大和(やまと)川に臨む生駒山地末端の丘陵上に位置する古代寺院跡である。
周囲には,鳥坂寺跡を含めて「河内六寺」と呼ばれる寺院跡のほか,7世紀まで造営が続く平尾山古墳群が存在している。発掘調査の結果,金堂,塔,講堂,回廊などが確認され,伽藍(がらん)中枢部の規模がほぼ判明し,その東側では,僧坊や食堂(じきどう)と推定される掘立柱(ほったてばしら)の建物群があることも明らかとなった。年代は,出土した瓦や土器の分析から,7世紀後半に創建され,概ね10世紀まで存続していたようである。
出土遺物には多量の瓦類や墨書(ぼくしょ)土器がある。このうち,軒瓦(のきがわら)は朝鮮半島の特徴を有しており,渡来人との関連が窺える。また,「鳥坂寺」と墨書された土師器(はじき)が出土しており,ここから,この寺院跡が天平勝宝(てんぴょうしょうほう)8年(756)に孝謙(こうけん)天皇が難波宮(なにわのみや)へと向かう途中に立ち寄った「河内六寺」の一つ,「鳥坂寺」であることが明らかとなった。
鳥坂寺跡は伽藍中枢部及び周辺施設の状況が判明し,特に金堂などの遺構の残存状況は良好である。また,7世紀後半における当該地域の重要性を物語るとともに,古代寺院関連の遺跡において寺の名称が明らかとなった事例としても重要である。