ポール・アレクサンドル博士
ぽーる・あれくさんどるはかせ
概要
ポール・アレクサンドル博士
ぽーる・あれくさんどるはかせ
イタリアのリヴォルノに生まれたモディリアーニは、1906年1月、絵を描くためにパリに出た。その翌年の11月、本作のモデルとなっている人物───医師で美術愛好家のポール・アレクサンドル博士と知り合う。モディリアーニの作品に関心をもった最初の人である。彼は1914年に第一次世界大戦に出征を余儀なくされるまで、モディリアーニのパトロンであり、この若い画家を激励し、その作品を買い続けた。フランス人で知識豊かな美術愛好家であったポール・アレクサンドルは、無名の芸術家を公衆、画商、収集家に紹介するチャンスのある公的機関にもよく通じており、さまざまな面でモディリアーニを支援し、その芸術活動を支えた。1908年になると、モディリアーニはポール博士とその弟ジャンが創設した芸術家コロニーにしばしば通うようになる。1909年には同博士の3点の肖像画が描かれたが、その中では本作が最も完成度が高く、素晴らしい出来映えを示している。同年に描かれた《乗馬服の女》(ニューヨーク、個人蔵)と同じように、左手を腰にあてたポーズの4分の3分身像となっている。この博士の肖像画シリーズは、ある意味では「芸術のパトロンが画家へ出資することによって彼の肖像画が描かれる」というルネサンス以来のイタリア絵画の伝統を思い起こさせる。ちょうどこの絵が描かれた頃、モディリアーニは彫刻家コンスタンティン・ブランクーシと友情を結び、以後の数年間は彫刻に没頭することになる。しかし絵画を放棄したわけではなく、1914年以降の細長く平面的にデフォルメされたいわゆるモディリアーニ様式に繋がってゆく。本作は若いモディリアーニの瑞々しい感覚が漂う初期の秀作といえよう。
所蔵館のウェブサイトで見る
公益財団法人 東京富士美術館