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大阪城 塀(大手門北方塀)

おおさかじょう へい(おおてもんほっぽうべい)

概要

大阪城 塀(大手門北方塀)

おおさかじょう へい(おおてもんほっぽうべい)

城郭建築 / 江戸 / 近畿 / 大阪府

大阪府

江戸末期/1830-1867

21.5m、銃眼三所、石狭間七所、本瓦葺

1棟

大阪府大阪市中央区馬場町

重文指定年月日:19530613
国宝指定年月日:

国(文部科学省)

重要文化財

大阪城は天正11年(1583)石山本願寺跡に豊臣秀吉が安土城にならって築城した天下の名城で、慶長10年の夏の陣で豊臣氏とともに滅びたが、その後徳川幕府の手によって元和6年(1620)から寛永7年(1630)にかけて復興された。この時再建の天守は寛文5年(1665)焼失後再び建つことはなかったが、城の規模は櫓三十余棟をはじめ門・蔵数十棟に及ぶ壮大なものであった。その後失火や取り壊し等によって大半が失われ、現在は元和6年建立の千貫櫓、乾櫓のほか、金明水井戸屋形(寛永3=1626)、六番櫓(寛永5)、一番櫓(寛永7)、焔硝蔵(寛文元=1661)、金蔵(天保8=1837)、多聞櫓・大手門・塀(ともに嘉永元=1848)と桜門(明治20)の13棟が残って重要文化財に指定されている。
これらの諸建物はいずれも江戸時代の再興になるが、なおよく大阪城の規模を忍ばせるものであり、また細部には建設年代の推移に伴う城郭の変化が見られる点で貴重である。

【引用文献】
『解説版 新指定重要文化財13建造物Ⅲ』(毎日新聞社 1982年)

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