文化遺産オンライン

和歌山城

わかやまじょう

概要

和歌山城

わかやまじょう

史跡 / 近畿 / 和歌山県

和歌山県

和歌山市一番丁

指定年月日:19310330
管理団体名:和歌山市(昭6・5・23)

史跡名勝天然記念物

初メ天正十三年羽柴秀長ノ命ニヨリ藤堂高虎工事ヲ監シテ築城セシガ慶長六年浅野幸長コノ地ニ封ゼラルゝヤ更ニ城郭ヲ修造シ元和五年徳川頼宣ノ入國ニ及ビマタ大ニ規模ヲ擴張セリ 現存唯一ノ建物タル天主閣ハ嘉永三年ノ再建ニカヽリテヨク保存セラレ城壕ハ大手一帶ノ外多ク埋メラレタルモ石垣ト共ニ旧規ノ見ルベキモノアリ

令和3年 追加指定
 和歌山城は、和歌山県北部を流れる紀の川河口に近い左岸に位置する近世城郭である。
和歌山城は、天正13年(1585)に羽柴秀吉が、弟の秀長に命じて現在の虎伏(とらふす)山(標高48m)の山頂を中心に築城させたのが始まりである。その後、慶長5年(1600)には、関ケ原の戦いで徳川家康に味方した浅野幸長が紀伊国を拝領した。幸長は虎伏山の西峰に天守を建て、東峰と北麓に御殿を造営した。元和5年(1619)には、徳川家康の十男である徳川頼宣が和歌山城主になり、元和7年(1621)より和歌山城の整備に着手し、砂の丸・南の丸を新たに造成した。以後、明治維新まで紀伊徳川家の居城であった。石垣と堀が良好に残っていることから昭和6年に史跡に指定された。指定時には大天守や小天守などの建物があったが、昭和20年の空襲により岡口門(重要文化財)と追廻門を除いて焼失している。山頂には天守、一段下がった本丸には本丸御殿、本丸の北にある二の丸には大奥などがある二の丸御殿があり、その他に西の丸、南の丸、南西には砂の丸があった。
その後、和歌山市教育委員会によって昭和48年には西之丸庭園(名勝)の整備、昭和55年には大手門の復元整備、平成7年には整備計画の策定、平成11年に御橋(おはし)廊下の発掘調査が行われた。また、平成20年度から27年度まで二の丸大奥の発掘調査が行われ、建物や庭園などの多くの遺構を検出している。
今回追加指定をしようとするのは、江戸時代に「扇の芝」と呼ばれた和歌山城の南西に位置する芝地跡の一角である。扇の芝は頼宣の拡張に伴い形成された場所である。頼宣による拡張の前には砂丘が広がっていたが、南方からの防御のため砂岩の高石垣を築いて、砂の丸を造成した残りの部分が扇の芝と呼ばれた。弘化3年(1846)に焼失した天守の再建の際、ここに御普請所が設けられた。この城と一体の土地である扇の芝の条件の整った一角を追加指定し、保護の万全を図るものである。

和歌山城をもっと見る

国指定文化財等データベース(文化庁)をもっと見る

キーワード

本丸 / / 二の丸 / 天守

関連作品

チェックした関連作品の検索