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智頭往来
 志戸坂峠越

ちづおうらい
 しとさかとうげごえ

概要

智頭往来
 志戸坂峠越

ちづおうらい
 しとさかとうげごえ

史跡 / 江戸 / 中国・四国 / 鳥取県

鳥取県

近世

八頭郡智頭町

指定年月日:20080521
管理団体名:智頭町(平20・12・24)

史跡名勝天然記念物

智頭往来は、岡山県境の志戸坂峠を越えて鳥取城下と姫路城下を結び、因幡地方か ら大坂・京都へ至る主要街道であり、鳥取県側では上方街道、京海道、美作道とも呼 ばれた。古代以来の主要街道で、承徳3年(1099)2月に因幡国守の平時範が 任国に赴任する際に、志戸坂峠で行われた「境迎え」の儀式が日記『時範記』に記録 されていることでも著名である。
 近世には鳥取藩の参勤交代道となり、藩によって一里塚が築かれ、宿駅が置かれ、整備・維持されていた。鳥取城大手門(中の御門)前に架かる擬宝珠橋のたもとが領 内里程の起点で、享保11年(1726)の『因幡国大道筋里数』によれば、藩境の 志戸坂峠までの里程は10里8町49間(約40.2キロメートル)で、参勤交代の 場合は約1日半の行程であった。鳥取藩は、初代藩主池田光仲が慶安元年(1648) に入国して以来、文久2年(1862)までの214年間に、智頭往来経由で178 回参勤交代した。
 志戸坂峠手前の智頭宿は、鳥取発の場合は最初の、江戸発の場合は最終の宿泊地であった。智頭町内の街道沿いには、往来の安全を願う大日如来や地蔵等の近世石仏、廻国記念碑等の近世石造物が数多く残されており、繁栄の名残を今にとどめている。智頭往来は、明治19年(1886)に改修され、昭和40年代の国道昇格に伴う道 路改修によって、往時の面影の多くを失ったが、国道からはずれた市瀬地区、智頭宿、篠坂付近、中原付近、樽見(大字福原)、駒帰の6箇所は面影を良くとどめている。現在も農林業や生活用の道路として利用されており、遺存状態は良好であり、地元住民を中心として維持管理、保存活動が行われている。
 昭和63年度に鳥取県教育委員会によって文化庁補助事業「歴史の道調査事業」が 行われ、平成10年度から18年度にかけて智頭町教育委員会により「歴史の道整備事業」が実施された。遺存状態の良好な中原地区、樽見(大字福原)地区、駒帰地区 において、道の補修、脱色鋪装、階段設置、案内板・説明板・標識の設置、ベンチ・東屋の設置等の整備が行われた。
 智頭往来志戸坂峠越は、鳥取城下と姫路城下を結ぶ鳥取藩の参勤交代道でもあった 主要街道のうち整備の完了した区間であり、境界の確定できた中原地区、樽見地区、駒帰地区の約2.5kmの古道を史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。

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