旧堺燈台
きゅうさかいとうだい
概要
S43-12-010旧堺燈台.txt: 堺燈台は、明治10年9月、境港に出入する船舶のため、英人技師の建築指導のもと、高山保次郎らの私費により築造された現地にのこる日本最古の洋式木造燈台である。
明治16年当時、名代人は堺区大浜通四町正木林作で、燈台運用のため「人民共有名代人1名、灯明番2名」をおき、経費は「区内協議費」より支出し、堺区長がこれを管理したようである。燈明番の居住家屋は設けなかった。燈台の位置は、堺港中波止場、燈塔は木造六角白色で、燈火は緑色不動、燈器はフランスパリ製で、高さは基礎より約11メートルである。これらはすべて当初のままである。その後、燈台は敷地とともに大阪府有に移され、昭和24年、航路標識法により国有に移されることとなり、26年10月、正式に海上保安庁に移管された。しかし、堺臨海工業地帯の建設にともない、港湾事情が一変したので、昭和43年3月付で廃灯となった。
現在も、堺港の一角に、明治の建設当時の姿をそのままに伝えている。