二人の道化
概要
夫人三岸節子が「好太郎の十八番」と語ったほど、道化は三岸が偏愛したモティーフであった。この時期の作品にみられる太い黒の輪郭線やマティエールの探求からいうと、やはり道化を好んだオールからの影響も確かにあるが、直接のきっかけは一九二六年の中国旅行と考えられている。
この時、独特のコスモポリタン的な雰囲気が漂う上海の街で見たサーカス、近代都市のただ中に現れ出たその夢幻的風景は、モダニストとしての三岸に強烈な感覚を残したと考えられる。それはたとえば、同時代の詩人中原中也の一九二九年の詩「サーカス」にも通じる感覚である。
画家自身の内面を映し出すかのような内省的な雰囲気を有し、一種の自画像とも考えられることが多い単身の道化に比べると「二人の道化」では、逆に見る側の内面がえぐり出されるような鋭い不気味さが勝っている。背景の無限定の空間は、都市の背後に潜む底知れぬ暗闇にも確かにつながっている。 (土田真紀)