越中の稚児舞
えっちゅうのちごまい
概要
わが国の民俗芸能には、舞楽、能楽、人形芝居、歌舞伎等が地方に伝播し、民俗化して定着し伝承されているものが多い。この民俗芸能化した舞楽の中で越中から越後にかけては稚児舞の型で伝承されているのが特色である。
下村の加茂神社、宇奈月町の法福寺、婦中町の熊野神社に伝承されているそれぞれの稚児舞は、上方系の舞楽が地方化したもので、技法にその特色がみられるとともに、稚児が大人の肩車にのって舞台入りし、芸能の終了するまで土を踏まない禁忌の姿を伝承しているなど古い民俗行事的特色をもっており、稚児舞の典型例として貴重である。
それぞれ社寺の祭礼、法会における芸能としてよく伝承されており、今後も変らず伝承されることが見込まれるので重要無形民俗文化財に指定し、正しく伝承を図っていきたい。
下村加茂のそれは、加茂神社の秋祭りの折に境内の舞殿で稚児舞が演じられるもので、一般にはこの時の祭り囃子の音から転じた「カットンド」の名称で親しまれている。地内から選ばれた稚児四人(十一歳から十二歳程度)が舞うもので、舞いに先立ち稚児は祭り当番宿から大人の肩車に乗って村巡りをする。その後「鉾の舞」、「林歌【りんか】」、「小奈曽利【こなそり】」、「賀古【がこ】の舞」、「天【あま】の舞」、「胡蝶の舞」、「大奈曽利【おおなそり】」、「蛭子【えびす】の舞」、「陪【ばい】臚」の九曲が舞われる。京都下鴨の加茂祖【みおや】神社から伝来したものと伝えられている。
宇奈月町明日のそれは、法福寺の観音会の折に境内に特設された舞台で、地内から選ばれた四人の稚児(十歳から十四歳程度)が演ずるもので、一週間程前から練習に入るが、この間魚肉を食べないとか、土を踏まないように足駄を使用するなど精進潔斎をする。また祭り当日、観音堂と舞台との往還には稚児は大人の肩車にのる。舞は、「矛の舞」、「太平楽」、「臨河楽【りんががく】」、「万歳楽」、「千秋楽」の五曲が伝承されている。「児舞声歌覚書【ちごまいしようがおばえがき】」という文献史料があり、これが江戸時代中期以前から伝わるものであることを示し、石舞台が存在することから大阪四天王寺系の舞楽ともみられる。
婦中町中名のそれは、熊野神社の祭りの折に稚児達によって舞われる(仮設舞台にて)。前述の下村加茂の場合とほぼ同種の曲目が上演されるこの舞楽は、下村の加茂神社から天正十五年(一五八五)の頃というかなり早い時代に伝わったものとされており、全体に舞い方のテンポが早まっていたり、「大奈曽利」や「蛭子【えびす】の舞」の芸態が異なっているなどこの地の特徴を見せている。また前二者と同様、舞い手の稚児(八歳から九歳程度の四人)を肩車に乗せ土を踏ませないという禁忌も伝えている。