星野家文書
ほしのけもんじょ
概要
星野家文書は、武蔵国多摩郡上井草村の旧家星野家に伝来されてきた文書群である。本資料は、数次にわたって調査が行われており、最初の調査時には270点の文書群として『文化財シリーズ5 杉並の古文書目録』(昭和48年)に収録され、その後、千川用水に関わる史料を翻刻した『文化財シリーズ29 星野家文書ー千川用水関係史料』(昭和58年)として刊行された。その後も文化財保護審議会委員による調査が重ねられ、平成23年度に追加資料を含めて区に寄贈され、整理し直した結果、総点数664点の文書群として指定に至った。
これら664点のうち、モノ資料26点を除いて、時代別に見ると、近世期13点、明治期598点、大正・昭和期24点、年未詳3点となり、明治期のものが90%である。近世の一番古い文書は寛永7年(1630)であり、近代の一番新しい文書は昭和23年(1948)である。
星野家は江戸初期から上井草地域に居住していた旧家で、明治に入ってからは当主の紋左衛門が村政に活躍し、明治11年(1878)から22年(1889)までは上下井草村連合戸長、明治22年から井荻村村会議員となり、同26年(1893)6月から36年(1903)9月まで井荻村村長などを歴任した。星野家文書の多くは、紋左衛門が戸長として10年間にわたって作成・授受してきた戸長役場史料である。太政官・各官省からの法令を綴じ込んだ「御布告綴込」「御布達綴込」には、後に参照しやすいように付箋が貼られているものがあり、戸長の職務を務める紋左衛門の姿勢が垣間見える。明治36年、紋左衛門が村長を辞した際に作成された「井荻村役場諸帳簿・戸籍役場諸帳引継目録」からは、井荻村の村政帳簿の引継内容がわかる。
また、戸長役場史料の形態・様式を検討する上で重要な版木、印章が残されている。版木は「東京府 多摩郡」の罫紙、戸長役場の領収証を刷るためのものである。星野家文書の中には「東京府 多摩郡」の版木を利用し、別に「豊」を押印した罫紙が存在している。「東京府 多摩郡」の罫紙の版木は、当初「東京府東多摩郡」であったと考えられ、明治29年に豊多摩郡となった際に、「東」を削ったのではないかと考えられる。印章は「東多摩郡上下井草村戸長役場」「学費」「地租割地方税」「戸数割地方税」など23点である。