旧金森洋物店
きゅうかなもりようぶつてん
概要
・明治11年(1878)の函館大火は、中心街が焼野原と化し、翌明治12年にも、市中の3分の1(2,326戸)が焼け、ほとんどの市街を失いました。2年続きの函館大火により開拓使は、市街の区画整理と不燃質家屋の奨励に乗り出し、一部の有力商人がその施策に応じました。
・明治12年の大火でその経営する洋物店の本・支店が被災した初代渡辺熊四郎もその1人で、明治13年11月、西欧と日本の建築技術を駆使した開拓使の茂辺地煉瓦製造所製の煉瓦を使用した洋風不燃質店舗「金森洋物店」を竣工、開店させました。設計は池田直二が担当しました。
・当時の金森洋物店は、西欧文化を謳歌する函館人気質と相まって衣食住に関わる舶来製の小間物、雑貨品を販売し賑わいました。市内の半分を焼失した明治40年の大火では、周囲の不燃質店舗がことごとく焼失する中で、幸いにも金森洋物店のみが類焼を免れました。
・その後、大正14年(1925)まで金森洋物店として使用されたこの建物は、昭和43年に十勝沖地震で被害を受けましたが、道の補助により復旧されました。その後、渡辺家から市に寄付され、昭和44年から市立函館博物館郷土資料館として活用されてきましたが、建物の老朽化のため、平成10年(1998)、11年の2か年にわたり全面的な復元改修工事が行われました。