文化遺産オンライン

昼飯大塚古墳

ひるいおおつかこふん

概要

昼飯大塚古墳

ひるいおおつかこふん

古墳 / 中部 / 岐阜県

岐阜県

大垣市昼飯町

指定年月日:20000906
管理団体名:大垣市(平20・11・27)

史跡名勝天然記念物

 昼飯大塚古墳は古墳時代前期の前方後円墳である。明治10年代に後円部の石室が盗掘され,鏡や銅鏃・巴形銅器,多数の玉類などが出土したと伝えられるが,ほとんどが所在不明となっている。大正年間には学会誌に紹介され名が知られるところとなり,昭和31年に旧赤坂町の史跡,昭和42年には合併して大垣市の史跡となった。昭和55年の名古屋大学による初めての発掘調査の後,平成6〜11年度に大垣市教育委員会が範囲確認調査を継続実施し,古墳の概要が判明した。その成果により平成10年に岐阜県の史跡に指定されている。
 昼飯大塚古墳は北側の金生山に続く標高25mの牧野台地上に立地する。前方部を西南に向ける3段築成の前方後円墳で,周囲に鍵穴形の周溝が巡る。周溝は中世までにかなり埋没し,昭和40年代の土地改良事業によりさらに埋め立てられた。そのため,3段築成のうち下段が埋没し,現状では中段・上段のみが地上に現れており,周囲は宅地化が進んでいる。発掘調査の結果,古墳の規模は,全長約150m,後円部径96m,高さ13m,前方部長約50m,前端幅約80mであることが判明した。また墳丘各段の状況もほぼ確かめられ,葺石や埴輪列もよく遺存していることが明らかとなった。
 後円部の墳頂は,埴輪列が直径20mの円形にめぐり,全面に礫を敷いている。ここから勾玉・管玉・臼玉・棗玉・算盤玉など約400点の滑石製玉類,少量のガラス玉,高坏や小型丸底壺などの土師器,笊形土器及び土製品など,墳頂部で行われた葬送にともなう儀礼に使われたものが残されていた。また主体部上には形象埴輪が設置されていたらしく,靱・盾・蓋・家形などの埴輪片が出土している。墓坑は約12m四方の方形で,そこに盗掘を受けた竪穴式石室と粘土槨と考えられる二つの主体部が並んで設置されていることが判明した。明治時代の盗掘坑から石室内部の様子がうかがえ,写真影像の解析により,長さ約4.5m,幅約1.2m〜0.8mと推定された。盗掘坑から,滑石製・碧玉製の石釧,坩形・刀子形・斧形・合子形の滑石製模造品,臼玉・勾玉・算盤玉・棗玉など2000点を超える滑石製玉類,鉄器残欠などが採集されている。また墓坑の一画に,鉄刀13点・鉄剣6点をはじめとする武器・農工具が埋納されていた。これらの遺物や墳丘の特徴から判断して,本墳は古墳時代前期末頃の築造と考えられる。
 大垣市域は,揖斐川西岸の平野を擁し,また関ヶ原を越え濃尾平野に出る交通の要地にあたり,昼飯大塚古墳以外にも花岡山古墳・長塚古墳・遊塚古墳といった有力な古墳が数多く知られている地域である。そのなかでも昼飯大塚古墳は,岐阜県のみならず東海地方最大級の前方後円墳であり,墳丘の構造,埴輪の特徴,埋葬施設の構造,一部判明している副葬品の内容,いずれもが畿内の大王墓に準ずる傑出した内容を持ち,東海地方の古墳時代の政治・社会を考える上で欠くことのできないきわめて重要な古墳である。よって史跡に指定し保護を図るものである。

関連作品

チェックした関連作品の検索