青木昆陽墓
あおきこんようのはか
概要
瀧泉寺所有墓地にあり、昆陽名は敦書、通は文藏江戸の人儒を以て幕府に仕へ蘭學をよくせり、其の著藩藷考國字譯は享保二十年官版を以て刊行せられ甘藷の裁培流傳に功あり、生前壽塚を作り時人の稱呼に従ひ石に「甘藷先生墓」と書し左側にその由來を誌す、明和六年十月十二日歿し此處に葬られたり。
墓石は略南面し高さ約二尺二寸右側に碑銘を追刻せり、臺石石柵は明治二年府内薩摩芋間屋中の修築に係るものなり。
あおきこんようのはか
瀧泉寺所有墓地にあり、昆陽名は敦書、通は文藏江戸の人儒を以て幕府に仕へ蘭學をよくせり、其の著藩藷考國字譯は享保二十年官版を以て刊行せられ甘藷の裁培流傳に功あり、生前壽塚を作り時人の稱呼に従ひ石に「甘藷先生墓」と書し左側にその由來を誌す、明和六年十月十二日歿し此處に葬られたり。
墓石は略南面し高さ約二尺二寸右側に碑銘を追刻せり、臺石石柵は明治二年府内薩摩芋間屋中の修築に係るものなり。
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