龍ヶ崎の撞舞
りゅうがさきのつくまい
概要
龍ヶ崎の撞舞は、高い柱に登りさまざまな曲芸的所作を演じる芸能で、毎年七月二十五日から行われる八坂神社の祗園祭の最終日二十七日に、市内の根町【ねまち】大通りにある八坂神社仮宮前の所定の場所で行われる芸能であり、地元では雨乞いの意味をもつと伝えている。
その起源は定かではないが、使用される面に安政二年(一八五五)の記載があることから、少なくとも一九世紀前半以前にはさかのぼると思われる。祭礼の期日は、古くは旧暦六月二十八日・二十九日であったが、明治四十年より七月二十五日・二十六日となり、さらに大正十年ころより現在の形となった。
撞舞が行われるツクバシラ(つく柱)は、二間四方の櫓に据えられた八間の杉の丸柱で、薦を巻いてその上を白木綿・紺木綿で覆い白布で縛り、先端に横木をつけその上に桟俵【さんだわら】一〇〇個で作った円座【えんざ】を載せ、横木には轡【くつわ】二個と麻の房を垂らしており、全体として竜に見立てているといわれる。
当日の夕刻、舞男【まいおとこ】と称する舞の演じ手は、つく柱の近くにある蛙宿【かえるやど】で、唐草模様の筒袖襦袢に裁着袴【たつつけばかま】の衣装と、後ろに「ウロコ」と呼ばれる布を垂らした雨蛙の被り物を被り準備を整え、世話役に先導され八坂神社仮宮に赴き、お祓いを受け御神酒をいただき、弓矢を神主より手渡され櫓に戻り、笛・太鼓で奏される囃子につれてつく柱に登る。途中で逆さまになるなどの芸を見せながら頂上に達すると、円座の上に立ち上がり「四方払い」と称して東西南北に矢を射る。その後頂上で逆立ちをしたり、横木に仰向けに寝たり、つく柱から張られた白綱に移ってさまざまな軽業を演じ、つく柱に戻り頭を下にして滑り降りる。これら一連の軽業の姿は、室町から近世初頭に見世物として流行した「蜘蛛舞【くもまい】」という曲芸に近似しており、それらが祇園祭礼と結びついて伝承されたことをうかがわせる。
以上のように龍ヶ崎の撞舞は、かつて流行した曲芸が地元の祇園祭礼と結びついて独自に伝承されてきた伝承であり、芸能の変遷の過程を知るうえで重要である。
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