大濠公園
おおほりこうえん
概要
現在の大濠公園の敷地は、古く草香江と呼ばれた沼沢地である。慶長年間(1600頃)、黒田長政が福岡城を築城したのに伴い西側の外濠として取り込まれ、江戸時代を通じて天然の地形を活かした防御施設として重要な役割を果たした。
大正14年(1925)、東京大学の本多静六らの進言及び設計に基づき、翌年に福岡市での開催が予定されていた東亜勧業博覧会の会場として大濠公園を整備することとなった。広大な水辺の風景を取り込んだ意匠とするため、約23.4haの沼沢地を浚渫して水面として残すこととし、周辺地の埋め立てや中の島の造成を行うとともに、海に通じる水路を開削するなどの大工事の末に、博覧会場としての公園地は完成した。博覧会の終了後は関連施設を撤去し、池を周回する道路をはじめ遊園地などが整備され、昭和4年(1929)に県営大濠公園として開園した。
大濠池には北から柳島・松島・菖蒲島の3島が浮かび、菖蒲島の北西方向には小さな鴨島が浮かぶ。鴨島以外の島には公園開設当初からマツが植えられ、広大な水面とマツに彩られた島々の形姿は、大濠公園の象徴的な風致景観を構成してきた。
大濠公園の建設に当たり、福岡県は公園周辺の県有地を住宅地として売却することとし、公園地の建設費のみならず、整備後の維持管理費まで捻出することに成功したという。その後、売却された土地は質の高い住宅地へと変貌したことから、大濠公園の公的資産価値が住宅地の付加価値へと転化され、公園が周辺の地域にもたらした経済効果として大きく評価された。
大濠池を周回する道路では日常的に散歩・緩走が行われているほか、児童遊園などでの遊技・休息・各種の集いなどが行われている。また、毎年12月に開催される福岡国際マラソン選手権大会などの競技会場として使われることでも有名である。
以上のように、大濠公園は、福岡城の外濠であった沼沢地形を活かしつつ、保健・休養の場として開設された都市公園であり、公園史上の深い意義を持つのみならず、その風致に富んだ優秀な景趣は造園文化の発展に十分寄与しているものと考えられる。