草岡の大明神ザクラ
くさおかのだいみょうじんざくら
概要
草岡の大明神ザクラは、山形県南部、長井盆地内の最上川左岸の山麓部分に当たる長井市草岡中里の個人住宅敷地内に生育するエドヒガンの巨木である。目通り周囲10.9mで、人里に植栽された単幹のサクラとしては最大の太さであり、既指定のサクラより太いものである。樹高は18.8m、枝張りは東西方向25m、南北方向23mと大きく枝を広げている。かつては、枝張りの面積が一反歩程もあり、家の屋根を大きく覆っていたといわれており、現在でもその面影を偲ぶものがある。
長井盆地は、東を白鷹丘陵、西を朝日山地に挟まれた細長い盆地で、中央に最上川が北に流れ、南は米沢盆地と接している。長井盆地の北部で長井市の北に位置する白鷹町から、長井市、米沢盆地に当たる南陽市の南部にかけては、天然記念物である伊佐沢の久保ザクラを含め、サクラの名所や古木が多く、置賜さくら回廊と呼ばれ、サクラの観賞地として著名である。その中でも長井市北部から白鷹町にかけては古木が点在し、草岡の大明神ザクラはその中で最も大きい個体である。
このサクラの種類であるエドヒガンは、アズマヒガン・ウバヒガンとも呼ばれ、本州・四国・九州に自生するサクラである。サクラの中では比較的長命で、サクラの古木・巨木ではこのエドヒガンが多い。本樹木もエドヒガンの古木で、元の主幹は空洞化しているものの、旺盛に発達した不定根により樹体が維持されており、不定根からの側幹により樹幹が更新している典型としても価値がある。住宅の裏庭に生育しているため、これまであまり注目されなかったものの、近年の調査でその大きさ・価値が確認された。
多くの古木と同様このサクラにも伝承があり、その一つとしては、坂上田村麻呂が蝦夷を平定したときの戦勝記念に植えた5本のサクラのうちの一本といわれているものである。また、サクラの所有者宅に伝わる古文書には、伊達政宗が14から15歳の頃、初陣となった鮎貝合戦に敗れ逃げる際、このサクラの古木に身を潜め敵の追撃をかわし、サクラを守るために家臣を残して庵を結ばせたことが、天正午3月(1582)の記録として和歌とともに記されている。その家臣の子孫が現在の所有者で、代々桜守をしていたと伝えられており、屋号が「桜の木」と呼ばれている。このような伝承とともに、地元では古くから種蒔桜と称し、春の籾の播種の目安とされていた。
草岡の大明神ザクラは最大級に成長したサクラとして学術的価値が高く、また、古くから地域のシンボル、農作業の目安木として親しまれ大切にされている。