渡辺氏庭園
わたなべしていえん
概要
作庭の年代は明らかでないが、南庭園の棟木に明和六年造立の墨書があり、また渡辺家三代の二男で同年に没した葛延は、作庭を愛好したと伝えられるので、この頃の作とみられる。東向きの庭園であって、庭景の中心をなす池は心字型であり、池の西側に一の山、二の山、三の山の三つの築山を設け、一の山には不動石を立てて枯滝を表わし、池の東側に化粧玉石を敷きつめた州浜があり、多数の庭石を組み、多数の飛石を打つ。特に南半部の石組は優秀である。添景として石灯篭と井戸囲いをほどよく配する。庭園の地割・手法はいわゆる京都風である。
江戸時代中期の庭園構成をよく保存し、下関(新潟県岩船郡関川村)のごとき辺ようの土地に、かような庭園が作られたことは、文化の地方への浸透を意味し、日本庭園史にとって貴重な事柄である。