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文保百首

ぶんぽうひゃくしゅ

概要

文保百首

ぶんぽうひゃくしゅ

その他 / 鎌倉 / 近畿

鎌倉

21巻

重文指定年月日:19900629
国宝指定年月日:
登録年月日:

公益財団法人冷泉家時雨亭文庫

国宝・重要文化財(美術品)

 文保百首は『続千載和歌集【しよくぜんざいわかしゆう】』の撰定に際して後宇多上皇が召した百首で、文保二年(一三一八)十二月に詠進の命が下り、当初は翌文保三年正月の披講が予定されていたが、実際に詠進されたのは各人の位署および端作の季節から文保三年(元応元年)春から翌元応二年の夏頃であったと推定されている。詠進者は後宇多院以下三五名が知られている。
 冷泉家に伝わったのは、そのうちの忠房親王(源忠房)、一条内経、洞院実泰、西園寺公顕、六条有房、花山院師信、小倉実教、日野俊光、吉田定房、六条有忠、冷泉為相、三条実任、飛鳥井雅孝、九条隆教、五条為実、津守国冬、覚助法親王、空性(西園寺実兼)、頓覚(小倉公雄)、雲雅、道順の二一名のものである。それぞれ厚手楮紙を継いで書かれ、端作の書き方は「詠百首和哥」(忠房)とするものから「夏日侍 太上皇仙洞同詠百首應製和哥」(有房)とするものなど種々あり、その季節も異なっている。本文は春二十首、夏十首、秋二十首、冬十首、恋二十首、雑二十首で、歌題は記さず、各一首を上句・下句の二行に書いている。
 この二一名のうち六条有房と花山院師信については、洞院公賢の日記『園太暦』貞和二年閏九月十日条に、それぞれ子息の六条有忠、花山院師賢が清書したことが先例として記されており、両巻の端裏に書かれた後筆の端裏書にもその旨が記されている。このことから、他の者については、それぞれ詠者みずからが清書して提出したものであることが知られる。
 本文中には「続千載」「続後拾遺」の集付が後筆の押紙(二種)で付されるほか、墨書のない付箋がまれに存するが、その他には書き入れ等はなく、詠進当時の姿を伝えている。
 本百首のまとまった写本は、宮内庁書陵部本および早稲田大学本が知られるのみで、また原本としては他に書陵部に鷹司冬平の百首が存するのが知られているにすぎない。

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