木造観音菩薩立像
もくぞうかんのんぼさつりゅうぞう
概要
仁徳陵を擁する堺市の百舌鳥【もず】古墳群の一画に存する円通寺に客仏として伝えられた観音菩薩檀像である。近年堺市の有に帰した際、材質の分析が行われ、ビャクダンと鑑定されたが、わが国の桜を思わせるやや赤味を帯びた緻密な一材から、両手先、両足先をのぞく像身の大略を木取りしている。この種檀像の常として内刳はない。
頭部の大きなプロポーション、胸部が扁平で腹部を突き出す側面観、あるいは白毫・三道を表現しないところなど、きわめて古様であり、刀を垂直に入れて薄手の衣を謹直にたたむ彫口は中国隋代の石彫像に相通じるものがある。
しかし、左右の顎を張り頬の長い、顔だちや、上下ともに強い抑揚をもたせ、口縁をわずかに撥ね上げた唇がつくる微笑は隋代のそれとは異なり、例えば京都広隆寺の木造弥勒菩薩半跏像(国宝)により親近性があるかにみえる。瓔珞の扱いにみられる簡素化の傾向も中国彫刻のそれとは異質な感もあり、腰佩【ようはい】の形式もむしろ朝鮮半島系と目される遺例に類似性がある。
本像の伝来については今明らかにすることはできないが、半島系渡来人にゆかりの深いこの地において七世紀後半頃に制作されたものと考えられる。白檀材を輸入しての制作ということになるが、飛鳥時代に大陸から完成品を請来した可能性も完全には否定できない。
いずれにせよ、わが国に伝存する檀像中、最古例の大作として注目される。