相南三浦郡上宮田長藩陣営之図 そうなんみうらぐんかみみやだちょうはんじんえいのず

歴史資料/書跡・典籍/古文書 絵図・地図 / 江戸

  • 神奈川県
  • 江戸時代末期
  • 紙本・淡彩・掛幅
  • 本紙縦54.5、横69.2(cm)
  • 1幅
  • 山口県萩市大字堀内355番地
  • 萩博物館

長州藩(萩藩)が江戸湾防備のために築いた上宮田陣屋の図。嘉永6年(1853)11月14日、長州藩は幕府から、相模国(神奈川県)の三浦半島南西海岸一帯の警備を命じられた。西浦賀から腰越八王子山へ至るこの一帯は、もと彦根藩が担当していた部署にほぼ該当し、長州藩では同国三浦郡上宮田村(三浦市)に陣屋を置き、6ヵ所の砲台に約900人にのぼる藩士を配置した。これを相州警衛といい、安政5年(1858)6月20日に免じられた。

相南三浦郡上宮田長藩陣営之図 そうなんみうらぐんかみみやだちょうはんじんえいのず
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