世界遺産と無形文化遺産
温泉津
ゆのつ
主情報
- 記載物件名
- 温泉津
解説
沖泊に隣接する温泉津には、日本海のリアス式海岸に面する港と港町が存在する。温泉津の名は、日本海側の代表的な港として16世紀の中国の地理書にも見られる。16世紀後半、温泉津は石見銀山の消費と生産を支える重要な港町としての役割を果たし、銀山とその周辺地域の支配における政治的中心地として活況を呈した。また、温泉のある町としても古くから知られ、著名な戦国大名・文人墨客・代官をはじめ多くの旅人が逗留する地でもあった。 温泉津は、東西約800m、南北100m以下の奥行きの深い谷地形を軸として、北に向かって延びる4本の小規模な谷地形と、南に向かって分かれる今1つの谷地形から成る。東・南・北の3方には硬い岩盤の傾斜地が迫り、西は海浜と港が控えるなど、狭小な地形に立地する。 港から東へと向かう谷地形に沿って主軸の街路が延び、さらにそこから複数の細い街路が北へと派生し、これらの街路に沿って家屋が建ち並んでいる。このような狭小な地形を克服するために、家屋の背面に迫る傾斜地の岩盤を削って敷地を確保している。町並みの背後に岩盤の露出する景観が温泉津の特徴であり、それらが多くの旅館や居宅の庭園の美観にも取り込まれている。 温泉の浴場や旅館は、谷地形の奥部に位置する温泉源を中心として、主に谷地形の中央部にかけての範囲に立地している。また、これに伴う多くの店舗も主軸の街路に沿って主谷の中程に立地する。19世紀以前から廻船業者などとして栄えた有力商人の屋敷の多くは、港に近い谷の西側に大きな地割を伴って立地している。14世紀以降に建立された5つの寺院のうちの4つについては、北と南に分岐する小規模な谷地形の奥部に大きな地割を伴って立地している。また 現存する神社は主軸となる街路に沿って立地しているが、18世紀前半に現在地に移るまでは町並みの背面の傾斜地に立地していた。 現在の温泉津の町並みを構成する建造物には、19世紀以前のものから20世紀のものまで幅広く見られるが、その大半は各時代の特徴を表す木造建築であり、歴史の重層性を示す変化に富んだ町並みとなっている。 現在の町の地割は、1692年の地図に描かれた敷地からは分筆又は合筆を繰り返す中で形成されたもので、江戸時代を通じて成立した間口の狭い短冊形の地割の特色を良好に残している。 このような地割の特徴をはじめ、山裾の岩盤まで削りだして敷地を造成している点などから、かつての石見銀山の繁栄と深く関わりつつ活発な経済活動等によって形成された土地利用の状況を顕著に窺い知ることができる。