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鞆ケ浦

ともがうら

主情報

記載物件名
鞆ケ浦

解説

 鞆ヶ浦は銀山柵内から北西約6㎞の日本海沿岸に位置し、石見銀山が開発された初期の頃に当たる16世紀前半に、国際貿易港であった博多に向けて銀鉱石及び銀を積み出した港である。  鞆ヶ浦は両岸に丘陵が迫る幅34m、奥行き約140mの入り江で、湾の開口部には波除けとなる2つの小島が位置する。そのうちの一つには、1526年に石見銀山を本格的に開発した博多の豪商神屋寿禎が弁天を祀った神社が存在し、海上交通に関わる信仰が現在もなお存続している。かつて、この神社では毎年7月に「弁天祭」又は「レンゲ祭」と呼ぶ祭礼が行われていた。この祭礼は、毎年8月に「例大祭」と名を変えて続けられており、神屋寿禎によって銀山開発が行われたことや銀鉱石及び銀の搬出が海路を通じて行われたことを現在に伝えている。  また、入り江の南岸には岩盤を削り出して造られた船舶の係留装置が残り、湾の奥には銀鉱石及び銀を積載した砂浜が残る。  さらに、そこから南西に向かって伸びる狭隘な谷間には、坂道に沿ってその両側に階段状に造成された方形区画の地割が展開し、現在では約20軒の木造家屋が建ち並ぶ。集落内には、銀鉱石を一時的に貯蔵したと伝えられる場所をはじめ、港への出入りを管理した施設の跡、船舶への給水施設である井戸などが残る。急傾斜地に形成された港湾集落の様相が、全体としてよく保持されている。