府内古図
ふないこず
概要
戦国時代の天正9~14年(1581~86)頃の豊後府内の町を描いた絵図。大分川の河口左岸にひろがる町とその外港であった「沖の浜」一帯が表されている。町のほぼ中央には、広大な敷地に堀と築地塀を廻らし、東の築地に大・小二つの門を構えた正方形状の大友館が描かれている。また、館を中心に東西・南北に道路が格子状に通され、それらの道路に沿って御内町・唐人町・桜町などの約40の町(両側町)が形成されている。町の各所には、天下十刹の一つに数えられた万寿寺をはじめ、大智寺・稲荷社など、多くの神社・仏閣が建てられている。中町には天文22年(1553)に創建されたデウス堂(教会)が建ち、辻や町境の通りには木戸も設けられている。なお、絵図に描かれた府内の町は、現在の大分市の元町・顕徳町・錦町・長浜町などの一帯に広がり、その範囲は南北約2.2km、東西約700mとなり、大友館においては一辺が200m四方の館であったと想定されている。また、イエズス会の宣教師の記録によると、当時約8000人が住む豊後最大の都市と紹介されている。