『石塚嘉平建築工務所工事歴覚書』
いしづかかへいけんちくこうむしょこうじれきおぼえがき
概要
石塚嘉平建築工務所が担当した明治38~大正14年(1905~25)の工事歴である。本文に「創業以来重責任ヲ負タル工事之歴履(ママ)一覧覚書」とある。年代順に「第○回」と記されており、全47件の主要工事について書き上げられている。題箋に記載は無い。
椅子に座る男性の肖像写真があるが、嘉平(石塚家3代、建築業初代)か助太郎(石塚家4代、建築業2代)かは不明である。最終面の記述より、筆者は大正14年4月に前高岡市長・鳥山敬二郎より「秀成」の名乗りを受けたとある(助太郎のことかは要調査)。
嘉平は明治33年(1900)の高岡大火で羅災した山町筋の筏井家を再建などした大工であり(註)、後を継いだ助太郎は高岡捺染の祖・笹原文次の機械製造をはじめ、市庁舎、高岡米穀取引所仲買店舗、丸一青果、回生病院、中越銀行(福岡支店・高岡支店)など主要施設や会社の建築・改築を手掛けている。
(註)HP「いこまいけ高岡」http://takaoka.zening.info/index.htm(平成27年9月30日アクセス)