絵葉書「伏木港の大雪」
えはがき「ふしきこうのおおゆき」
概要
【1】「(伏木港)中道目貫街の大雪」
大人の背丈以上に積もった中道目貫街の大雪の様子が写っている。
【2】「(伏木港)伏木小学校庭の□」
伏木小学校の正門から校庭まで雪が積もっており、多数の足跡がみえる。
【3】「(伏木港)雪の壁」
大雪の様子の2枚の写真が掲載されている。右側の写真は家の壁に貼り付くように積もった大雪の様子で、左側の写真は積雪の中を歩く人の様子である。
【4】「(伏木港)港町繁華街の大雪」
大人の背丈以上に積もった港町繁華街の大雪の様子が写っている。
【5】「(伏木港)港の大雪」
建物が埋もれるほど積もった大雪の様子が写っている。
【6】「(伏木港)伏木公会堂前通りの大雪」
伏木公会堂前の道に積もった大雪の様子が写っている。
【7】「(伏木港)雲龍山勝興寺境内の大雪」
勝興寺に積もった大雪の様子が写っている。
【8】「(伏木港)港の大雪」
伏木港に停泊している2艘の船と岸に積もった大雪の様子が写っている。
【9】「雨晴小唄/雨晴音頭」
編笠をかぶり三味線を弾く人物と踊る人物が描かれており、歌詞が記されている。
雨晴小唄は露野華丈作詞・永井 己作曲で、歌詞は「恋の義経 隠れた岩に/昔変らぬ 松の風/かけた想ひと 時雨に濡れて/色が濃くなる 紅葉川」。
雨晴音頭は中山 輝作詞・永井 己作曲で、歌詞は「松の青さよ 真砂の白さ/さまを松田江 気も麗ら/廻る絵日笠 手招く人魚/いつも心の 雨晴/歌の渋谷 家持さまを/偲べや飛沫に 鳴る都萬麻/心有磯の貝 手を濡らす/暑さ憂さなら 浪が消す」。
すべて未使用。表面右下の印は小さく、インクがかすれているため判別できないが、「SHUSIDO」「MADE IN JAPAN」のように見える。
タトウ付属。「フシキ/港の大雪/伏木港」。
<参考>
【伏木港(ふしきこう)】
高岡市と新湊市(現射水市)の市境、小矢部川河口を中心とする国の特定重要港湾。正式名称は伏木富山港伏木地区。富山港や富山新港とともに伏木富山港を形成している。
港としての機能は、大伴家持が越中国守として着任した当時からであったが、近世になって初めて港として表舞台に登場し、寛文3年(1663)幕府の船政所13港の1つに指定される。明治32年(1899)開港場指定、昭和に入り日本海沿岸随一の港として発展。昭和39年(1964)石油配分基地用埋立地が、翌年国分港にタンカー専用岸壁が完成する。同50年7月に旧ソ連のワニノ港との間に定期配船が開設、日本とナホトカ港間の定期船も毎月寄港している。明治24年(1891)藤井能三が「伏木築港論」の中で記したとおり、ソ連社会主義崩壊後の環日本海経済圏の浮上で、対岸貿易の重要性が増してきている。来航船舶の大型化、河口部の浚渫費増大、石油配分基地に隣接する民家の安全性確保などの解決策として、平成元年(1989)から伏木外港が建設着工された。
HP「富山大百科事典電子版」 http://webun.jp/encyclopedia_of_toyama/top